90年代の初めから経済危機までの間において、生産は傾向的な増加は示さなかったが、傾向的に減少したわけでもなかった。それにもかかわらず、雇用は傾向的に減少を続けたことに注意が必要だ。
しかも、雇用の減少率は生産の減少率より高い。すなわち、鉱工業生産指数は、91年5月の102・6から11年5月の89・2まで、13・1%下落した。他方で、雇用は93年の1367万人から10年の996万人まで27・1%減少した。したがって、雇用の減少率は、生産の減少率の2倍程度の大きさになっている。
こうなるのは、生産に対する労働の弾力性が1より小さいためだ。ここで、「生産に対する労働の弾力性」とは、労働投入量が1%変化した場合の生産の変化率である。生産関数が変わらなければ、この値は長期的には一定である。なお理論的には、この値は労働の分配率に等しいことを示すことができる。
多くの実証分析の結果では、労働の弾力性は3分の2程度とされている。しかし、右で見たように、90年代初めから最近までの期間での弾力性は2分の1程度であり、従来の実証結果よりは低い値になっている。
円安への誘導政策や雇用調整金の効果は?
このような製造業の縮小に対して、日本政府は政策でどのように対応したか?
その基本は、金融緩和・円安政策である。これは90年代後半から継続的に行われたが、特に03年の大規模為替介入後は、顕著に行われた。それは、日本製品の価格競争力を強めて輸出を増やし、鉱工業生産指数を顕著に増加させた。また、GDPも押し上げた。しかし製造業の雇用は、06、07年の例外を除けば、長期的な低下傾向から脱却できなかったのである。しかも、このときに増加した雇用は主として非正規雇用である。
円安政策は、輸出と生産を増やしはしたものの、雇用という面から見ればほとんど効果がなかったことに注意が必要である(なお、賃金もこの間に低下を続けた。配当などの資産所得が著しく増加する反面で、労働者は置き去りにされたのである)。
経済危機によって、生産は大きく落ち込んだ。鉱工業生産指数は、07年10月のピークから09年2月のボトムまで35%下落した。11年2月までの期間をとっても、11%下落している。