40歳過ぎたら下り坂「残りの人生をどう生きるか」 稲垣えみ子×中村医師「手放すことは怖くない」

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稲垣:50歳で朝日新聞社を辞めたことが大きかったです。あ、嫌になって辞めたわけではないんです。40歳になったころ、とあるきっかけで「もうすぐ人生の折り返しだ」と気付いたんですね。

当時はまだ「人生100年時代」という言葉はなくて、寿命は80歳くらいという感覚だったので。ということは、これからは下り坂の人生なんだなと。それまでずっと、収入が増え、家を大きくし、モノも増やし、つまり「上っていく」のが当たり前という人生観でした。でも最後は死ぬのだから、坂を下りていかないといけない。そのことにはっとしたんです。

中村:定年まで会社に残るという選択肢はなかったのですか?

稲垣さんが定年までいなかった理由について聞く中村医師(右)(写真:今井康一撮影)

「若いころはよかった」と言いながら…

稲垣:最初はもちろん定年まで勤めるつもりだったんです。でも定年で退職したとしても、上っていくことがいいことだという価値観を持ち続けていたら、その後の人生はすごく惨めなものになるということに気づいた。

だって定年になれば、使えるお金も減るし健康も確実に失われていくわけで、失っていくこと、つまり「下っていくこと」が惨めという価値観のままでいたら、「若いころはよかった」と言いながら、決して短くない人生後半生を生きることになるわけじゃないですか。それは絶対嫌だったんですね。ならば価値観を変えないといけない。そう思うようになりました。

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中村:具体的にどうやって価値観を変えていったのでしょうか。

稲垣:会社員時代は、お金を使わない楽しみなんて考えたことがなかったから、まずは、お金がなくても楽しめることを見つけないと、と思いました。散歩するとか、近所の山に登るとか、やってみたらお金を使わない楽しみって案外たくさんあるんですね。

考えてみると、お金を使う楽しみって、新しい服とか踊り炊きの炊飯器とか、欲しいモノを買うときはうれしい。でも、そのうれしさは持続しなくて、次にまた欲しいモノが出てくる。結局、どんなにお金やモノがあっても足りないばかりか、失う恐怖のほうが増えていくんですよね。

中村:確かにそうかも……。

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