ただ、3年遅れで大学に入ってからの生活は、必ずしもいいことばかりではありませんでした。
演劇サークルに入って活動をする反面、燃え尽き症候群になって勉強に身が入らなくなったそうです。また、年齢も隠し、周囲には「1浪」と話して4回生まで生活を送りました。
「当時の私は、年齢をとにかく気にしていました。1浪ということにして、私のことを知っている人には言わないように箝口令を敷いていましたね。
男子大学生の中には1回生の女子には優しいのに、2回生になると冷たく扱う人が少なからずいるので、年齢を隠してよかったと思うことはたくさんあります。一方で、自分の中では、自分の歩いてきた道なのに、堂々と人に伝えられないというモヤモヤ感がずっとありました」
ようやく3浪だと明かせるようになった
もともと高校でも不登校になっていた彼女は、「ナイーブで、うつっぽくなるときもある」と自ら語りますが、大学生活での人間関係でもストレスを感じることが多かったそうです。留年をして、双極性障害の診断を受け、現在もその病気と向き合っています。
一方で、留年と病気で5回生になり、同期が卒業したこのタイミングでようやく3浪したことを人に伝えられるようになったようです。
現在京大8回生になった竹末さんは、自分や知人の多浪生の経験を伝えるため、京大多浪交流会の代表として、多浪生の合格体験記『浪人百万遍』を発刊する活動をしています。
「かつて自分がほしかった多浪合格の情報誌でありながら、執筆者自身にとっても自分の人生経験を俯瞰するカタルシスの場にしたい」という思いで制作を始めたそうです。
「多浪も持病もアクセサリーとして、自分の人生を飾るものだと捉えるようにしてから、まっすぐ生きるより豊かな人生が送れていると思えるようになりました」と語る彼女は、次のように続けます。
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