こうしてシステム化し、負担を分散することで、親にとって体力的に最も過酷な新生児期を乗り越えることができた。それだけでなく、「なにより、夫婦が家のなかでずっと一緒にいると誰しもけんかになると思いますが、そうした状況も避けることができた」という。
3つの希望園近くに、それぞれ物件候補を用意
生後半年を過ぎると、少し先のことを考える余裕がでてきた。そこで始めたのが「保活」。自由時間に園の見学をしたり、評判を調べるようになった。
住んでいる市川市は激戦区と言われている地域のひとつ。待機児童が多い激戦区では保育園は「保育指数」といわれる点数制度が設けられ、得点が高い人から保育の必要性が認められ、入園できる仕組みになっている。
調べていくと、東京では双子などの多胎児には保育指数が加点される自治体が多いが、市川市では多胎児の加点がないこともわかった。
「申請の際には、多胎児加点のある自治体を調べてリスト化し、ほかの自治体の取り組みを引き合いに出して、多胎児育児の負担へ理解を求める陳述書を添えました」
「保活」と同時に考えなくてはならなかったのが、家の問題だった。当時住んでいた家は、3階でエレベーターがなかったため、ひとりで2人の子どもを同時に外に連れ出すことができなかったのだ。
「復帰後の負担を少しでも軽くすることを最優先に考えて、保育園近くの物件を探しました」
保育園は第3希望まで出すことができたため、3つの希望園の近くにそれぞれ物件を探して候補を決めておいた。
「物件の見学も、自由時間にそれぞれが1日1件ずつ見て回りました。とにかく保育園が決まらなくては、家も、復職もままならない。あの頃は祈るような気持ちでいました。だから2月中旬に第1希望の園に決定したときは『これでやっと生活ができる』と心底ホッとしました」
入園通知が届くと同時に、前もって見学していた園から徒歩2分の物件と契約し、やっと坂本家の生活基盤が整った。
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