その日のゲストがその場で電話をかけ、リレー方式で次の日のゲストを紹介する(居場所がわからないときは、ディレクターやアナウンサーなどが代わりに調べ、電話をすることもあった)。
唯一、初回から最終回まで続いた長寿コーナーであり、看板コーナーである。したがって、『いいとも!』の放送回数と同じ8054組がゲストとして登場した。
テレホンショッキングあれこれ
その日のゲストによって幅はあるが、おおよそ20分程度の長さである。ちなみに最多出演者は和田アキ子で22回。次いで浅野ゆう子と藤井フミヤが21回である。
初回のゲストは、タモリが大のファンであることを公言していた歌手の桜田淳子だった。このときは、最初は次のゲストとして歌手の牧村三枝子に桜田が電話をかけたがスケジュールの関係でNGに。
そこで振付師の土居甫にかけようということになった。だが仕事先にいた(このときはまだ携帯電話は普及していない)ため、桜田淳子の代わりに番組ディレクターの小林豊、通称「ブッチャー小林」が電話をした。
そもそもはアイドルの伊藤つかさにタモリが会いたいという目的で始まったという。それは、1985年7月8日に実現した。
以降は、タモリが10代の頃から憧れ続けていた吉永小百合につながることが目的になった(結局、それは達成されなかったが、番組最後の「グランドフィナーレ」で吉永は中継で登場し、タモリを労った)。
この「テレフォンショッキング」には、恒例行事のようなものもあった。
たとえば、いまでは多くのひとが忘れているかもしれないが、開始当初は、歌手のゲストの場合、その場で持ち歌を歌ってもらうシステムがあった。ただしそれは、スタッフにとっては苦肉の策で、歌を歌えないなら出演させないという芸能プロダクションが当時あったからである。
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