まず相談したのはマナミだった。メイをMinamiこども教室に誘った同級生だ。南小学校を卒業した後は別の中学、高校へと進んでいたが、互いに何でも話せる唯一無二の間柄だった。
「今、ちょっとやばいねんけど」
そう言ってメイが事情を話すと、マナミは「とりあえず、ウカイ先生の家に泊まらせてもらった方がいいんちゃう?」と提案した。
メイの頭にも思い浮かんではいたが、遠慮もあって自分からは言い出せそうになかった。どうやってお願いを切り出すか、マナミが一緒に考えてくれた。
その後、思い切ってウカイさんに電話をかけた。マナミのアドバイス通り、自宅に泊まらせてもらえないかと尋ねた。
「それやったら、うちへ泊まりにおいで」
ウカイさんは即座にそう返事をした。
彼女にもためらいはあったという。「そんなことをしてもいいのかなって。私の生活の中に『支援活動』っていうものが、それまでとは全く違うレベルで入り込んでくることになるわけですから」
「このまま島之内で暮らしたい」
ウカイさんも当然、メイの生活支援に深く関わっていくつもりだった。ただ、支援者として10年以上の経験がある彼女にとっても、子どもを自宅で長期間あずかった経験はなかった。
「支援」と「生活」の境界がなくなることへのためらいは、私のような週一のボランティアには想像もつかない。
しかしその逡巡を、ウカイさんは瞬時に打ち消した。「メイの頼れる人が他にいないことは、教室での長い関わりのなかで十分に知っていましたから」
夫に事情を説明し、1カ月余りメイを自宅に泊め、高校へ通わせた。
ウカイさんはその間、メイに家事を教え込んだ。皿洗いや洗濯は、できるだけ自分でさせた。家計簿のつけ方も教えた。
「先々までメイが1人で暮らしていける力を、今つけるしかない。そのためにはウチでの合宿が一番やったんかもしれませんね」とふり返る。
メイも「ほんまに合宿。結構きびしかったで。食器洗う時に水出しっぱなしはあかん、とか」と笑いつつ、「ウカイ先生のおかげで、家事や節約のやり方がきっちりわかった。いったん生活を落ち着けることもできた」と感謝を口にする。
役所や病院での手続きにはキムさんが同行した。メイは17歳にして1人で暮らすことになり、役所からは児童養護施設に入ることも提案された。ただ、メイの意思は「このまま島之内で暮らしたい」だった。
キムさんらはMinamiこども教室のスタッフが生活を支えることを役所に訴え、島之内の自宅に住み続けることが認められた。
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