父子家庭で父が倒れた高2のメイと支える人たち 大阪ミナミ「外国ルーツの少女」の成長【中編】

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一連の出来事を私がメイから聞いたのは、正三さんが倒れた大型連休明けの火曜日だった。

いつも通りの教室での学習後、メイから「ちょっと」と呼び止められた。「お父さん入院してん」とメイは小声で切り出し、経緯を聞かせてくれた。気丈に話そうとはしていたが、目が潤み、声が震えていた。

軽い言葉はかけられないと自戒しつつ、私は「近所に住んでるんやから、困ったことがあったら何でも言うてきいや」と伝えた。

私が妻と2人で暮らすマンションは、メイの家から徒歩2分。ふと思い立ち、「1回、うちにご飯食べにおいでや」と声をかけた。メイも「そしたらお邪魔しよっかな」と言い、さっそく2日後に来ることになった。教室の実行委員らも承諾してくれた。

少しずつはき出される不安

木曜日、午後7時に島之内のスーパー前で待ち合わせた。メイはいつもと違って口数が少なく、笑顔も硬い。私の妻に初めて会うことに緊張していたそうだ。

とりあえず、野菜と鶏肉、卵、デザートのいちごを買って自宅へ向かった。妻も最初は少しぎこちなかったが、メイと一緒に食材を切り、鶏肉と野菜の炒め物を作るうち、自然な言葉を交わすようになった。

メイは生まれて初めての卵焼きにも挑戦し、菜箸でうまく丸めたできあがりを見て、ようやく普段通りの笑顔を見せた。

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小さな食卓に料理を広げ、3人で囲んだ。自分で作った炒め物を、メイはおいしそうに食べた。遠慮しつつもご飯をおかわりした。

はじめは、高校での出来事など当たり障りのない話をしていたメイだが、家の状況についても誰かに言いたかったのだろう。

高校への納付金や家賃の支払い、生活保護費の受け取り、父親の見舞い、1人暮らしの家事のことまで、突然抱えることになった暮らしの悩みを、少しずつはき出していった。

「なんかな、ついぼーっとしてしまうねん。あんまり今の状況を正面から受け止めてしまったら、しんどくなるから」

メイがもらした言葉に、私と妻は黙ってうなずくことしかできなかった。

2時間ほど話し込んだ後、あまった食材を持たせ、午後9時すぎに家へ帰した。妻と私は「とりあえず、初めの1回ができてよかった。これからもっと気楽に来てくれたらええんやけど」という意見で一致した。

*次回へ続きます

玉置 太郎 ジャーナリスト

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たまき たろう / Tarou Tamaki

1983年、大阪生まれ。2006年に朝日新聞の記者になり、島根、京都での勤務を経て、11年から大阪社会部に所属。日本で暮らす移民との共生をテーマに、取材を続けてきた。17年から2年間休職し、英国のロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)で移民と公共政策についての修士課程を修了。

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