前身の日本鉄道品川線(品川―赤羽間)が1885年に開業したとき、駅は渋谷、新宿、板橋しかなく、すぐに目黒、目白が設けられたものの、しばらくはそのままで推移した。
この鉄道は群馬県の生糸を輸出港である横浜まで運ぶことを主目的としていたが、新橋への乗り入れを考慮し、横浜へは品川駅での折り返し運転とされた。それゆえ、横浜へ直進できるような連絡線も1894年に建設された。東海道本線との合流点は現在の大井町駅付近であった。
鉄道の分岐点に旅客駅を設置
その連絡線が分岐する地点に設けられたのが大崎駅だ。1901年2月25日の開業で、品川線の旅客駅としては目黒、目白に次いで古い。ただ、周囲の集落もさほど大きくはなく、当初の乗降人数は極めて少なかった。
江戸時代からの大集落であった品川宿から品川駅が離れていたため、若干近い大崎駅へ出る利用客はあったかもしれない。しかし、当初は分岐点の信号場のような役割が主だったのではないかとも思われる。
トピックボードAD
有料会員限定記事
鉄道最前線の人気記事
無料会員登録はこちら
ログインはこちら