品川宿から分岐して多摩方面へ向かう、現在の山手通りに相当する道が整えられたとき、目黒川を渡る地点に居木橋(いるきばし)が架けられた。
「ゆるぎの松」という古い松の木があり、そこから居木に変化したとも言われる。この橋の近くにあったのが居木神社だが、江戸時代の初めに水害のため、現在の大崎駅の西側にある丘陵地に村ごと移転。以後、そこも居木橋と呼ばれ、大崎村合併までの村名にもなった。
現在の品川区大崎は、その居木橋と呼ばれた地域をほぼ受け継いでおり、目黒川、東急池上線、百反通りに囲まれた、それほど広くないエリアだ。
高台は閑静な住宅地であるのに対し、駅周辺は、開業翌年に貨物取り扱いが開始されて以後、工業地帯として発展してゆく。商業的な集積は隣の五反田、大崎広小路駅周辺に起こり、大崎は通勤客が乗り降りする駅として終始していた。
再開発により駅周辺は大きく変貌
それが大きく変わったのが、1980年代に、工場が移転した跡地の再開発が始まってから。東京都が大崎地区を副都心として整備する計画を策定したためだ。
まず、東口側に1987年に店舗、オフィス、ホテルなどの複合施設、大崎ニューシティが開業。1999年のゲートシティ大崎などが続いた。21世紀に入ると西口側でも再開発が進行。超高層ビルが林立するビジネスエリアが現れ、日本を代表する先端企業が集まり、かつての大崎のイメージは一掃された。
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