江戸時代には品川宿を通る海岸沿いの道が東海道となり、もっとも重要な街道の1つとなっていたが、それ以前には、直線状に小杉、瀬谷を通り平塚へと至る道がメインルートだった。徳川家康が江戸城へ入る際にも使ったと言われる。
東海道の整備後は中原街道と呼ばれ、脇街道となった。その道筋が五反田駅前を通る、現在の国道1号(桜田通り)だ。自動車時代となって再度、立場が逆転した形である。
駅開業で知名度が向上
その旧中原街道沿いに集落が発展。目黒川沿いに、一区画が5反(約5000㎡=約70m四方)の田んぼが広がっていたので、小字として「五反田」との地名が江戸時代に生まれたと言われている。
知名度が上がったのは、やはり1911年10月15日に山手線五反田駅が開業してから。1909年の電化を機に、駒込や鶯谷と前後して増設された駅の1つだ。それでも広域的には旧大崎町に当たるためか、駅周辺には今でも大崎を名乗る施設は少なくない。
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