中野:ただし、プロセスが効率的になるだけであって、問題自体が解決できるわけではない。くだらないことで結果は出せない。
佐藤:おっしゃるとおり。宇宙脳との共生で頭でっかちになりすぎた文明に対し、肉体の側が復讐を始めたのが、21世紀の最初の四半世紀です。効率化に固執する現在の方向性は、遠からず自滅するのではないか。観念的になりすぎた認知エリートの発想では、要するに結果が出せず、経世済民を達成できないのです。わが国でも平成の半ばごろまでは急進的改革を支持する声が大きかったものの、それも変わってきたように思います。
SNSと庶民の声
施:かつて2ちゃんねるにはまっていた私から(笑)、SNSについて若干の肯定論を言わせてもらいますね。SNSって、中間団体が機能しなくなったこの時代に、庶民の声を届ける手段として一定の意義はあると思います。
ただ、反対意見に耳を傾けず、自分の好きな意見だけ受け入れる結果、どんどん意見が先鋭化・極端化してしまういわゆる「エコーチェンバー」現象が起こりがちなことは否定できません。
でも、マスコミに載らない情報を探す手段としては、ネット掲示板も含むSNSはとても有効です。昔みたいに、一つの新聞だけが正しいと信じる学生が減ったのもSNSのおかげかもしれません。日経新聞の緊縮財政論に対しても、人々が免疫を持ち始めているのは、SNSの影響だと思います。
ただ、悪いところもあるのは確かで、先ほど申し上げたように、いわゆるエコーチェンバーで、同じような意見、自分の好きな意見ばっかり聞いてしまいます。反トランプ派は反トランプ派の声しか聞かなくなるし、反ワクチン派は反ワクチン情報ばかりに触れることで、意見が固まりすぎてしまう。もちろん、それぞれ逆もまたしかりです。
これは、対面でのコミュニケーションが持つ、認知面以外での交流がオンラインでは難しいからだと思います。例えば、うちの大学でも、コロナ以降、教授会がオンラインでしか開催されず、教員同士のコミュニケーションがほとんどなくなったんです。これは、ナショナリズムの話にもつながるかもしれませんが、ナショナリズムって、意見が違っても「まあ、仲間だから」という共同体的な絆が大切ですよね。自由民主主義も、そういう「違っても同じ」という絆に依存していると思います。
でも、SNSでは、認知的な情報だけでつながってしまうから、異なる意見という認知面での相違を持つ人同士の仲間意識を持つことが難しくなってしまうんじゃないかと感じますね。