テレワーク制限を始めた巨大IT企業という「逆説」 「SNSで歪んだ自由民主主義」を救うのは何か

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佐藤:物理的に会って話すと、言葉による意識的なコミュニケーションとは別に、身体の動き、さらには空気や気配による無意識的なコミュニケーションが行われるんですよ。それによって、言葉の意味が異なるニュアンスを帯びたり、時には裏返しになったりする。人間の本心は、「言語化できること」と「言語化できないこと」の交錯のうちにあるわけで、前者ばかりにこだわると表面的なことしか伝わらない。

暗黙知とフィジカルなやり取り

:それはそうですよね。暗黙知の話で言えば、マイケル・ポランニーはこう言っています。熟練した医者は、医者本人でさえ言語化はできないけれども、なんとなく患者の顔色や歩き方から病気を見抜くことができると。だから、中野さんがおっしゃったような感じで、暗黙知は、実は非常に多くの情報を含んでいます。

古川 雄嗣(ふるかわ ゆうじ)/教育学者、北海道教育大学旭川校准教授。1978年、三重県生まれ。京都大学文学部および教育学部卒業。同大学大学院教育学研究科博士後期課程修了。博士(教育学)。専門は、教育哲学、道徳教育。著書に『偶然と運命――九鬼周造の倫理学』(ナカニシヤ出版、2015年)、『大人の道徳:西洋近代思想を問い直す』(東洋経済新報社、2018年)、共編著に『反「大学改革」論――若手からの問題提起』(ナカニシヤ出版、2017年)がある(写真:古川雄嗣)

加えて、人間の思考って、本来的にはまさにフィジカルなやり取り、対面のコミュニケーションを通じて発展してきたところがあるのかなと思います。子ども時代の経験についても、他者の視点を理解したり、多角的に物事を見たりする能力はそこから育つのだと思います。そうした実際の対面の他者とのやり取りを内面化したものが個々人の思考ですよね。だから、対面でのやり取りがなくなってしまったら、認知面でも思考の質自体が落ちるんじゃないかと思うんですよね。

古川:希望があるとすれば、若い人たちにとってコロナの経験はやはり相当つらいものだったようで、もうあんな生活はこりごりだという雰囲気があることです。友達とも画面上でしか会えない、飲み会もできない、授業も全部オンラインというなかで、精神的にバランスを崩した子も多かったです。そういう苦い経験をふまえて、彼ら自身が、コロナで失われたものを取り戻したいと言って、対面で集まって話をする機会を意図的につくるなどの動きも出てきています。

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