慶應の英語の自己採点の結果は、えぐざまさんいわく「多分5割」。他の科目は得意だったのでもう少し高く取れたと思えたようですが、一般的に7割程度の得点率が必要とされる英語が足を引っ張り、合格するには到底足りない数字と思っていたそうです。
私大の最高峰・早慶の受験は、SNSや予備校の解答速報、YouTuberの解説動画なども充実していて、解答や解説の情報が次々に流れてきます。「これぞ早慶の隠れた凄さだと思いました」。
自分の戦った「祭りのあと」の雰囲気に思いを馳せながらSNSを見ていた彼は、「今年の英語は難化した」「合格最低点は確実に下がりそう」という噂がネット上で流れ始めているのを確認します。しかし、それでも本人の中では「合格可能性は1%未満」と考えており、受験の熱が冷めないうちに翌年に向けて準備を始めようと、参考書を開き始めていました。
「早慶に受験に行けたことだけで、十分満足していました」
結局、合格発表の朝も合格に希望を持っていたMARCHのときは「時間前にパソコンの前に正座していた」のが、早慶になると「発表時刻の直前にようやくパソコンを開き、やる気なさげに不合格通知の確認をした」そうです。本人的には「補欠だったら知り合いに自慢しよう」ぐらいに思っていたようでした。
慶應卒業後の彼の夢
しかし、人生は面白いものです。早稲田こそ不合格でしたが、慶應の合否発表でえぐざまさんの眼前に現れたのは「合格」の2文字でした。
MARCH合格のときにも、慶應受験のときにも涙した彼。しかし、このときばかりは本当に夢にも思っていなかったようで、「ただただ呆然としていた」そうです。
事態を飲み込めずに数分沈黙したあと我に返ったえぐざまさんは、誰もいない家でガッツポーズしながら慶應義塾塾歌を歌い始めました。苦節27年。ついに、夢が叶った瞬間でした。
「大学生のときも、社会人として働いているときも、いつも心のどこかでは浪人生だった」と語るえぐざまさんの「浪人生」という称号を、彼はついにこれ以上ない形で返上することになりました。しかし、彼の野望はそれでは終わりません。
「卒業後は東大か京大の大学院に進学して生涯をかけて教育学を研究します。その意味でも、もう一度学部からみっちり勉強して、先生方や若くて優秀な学生から知識や考え方などを吸収して、研究の礎を積み上げていきます」
浪人という枷が外れたえぐざまさんの新たな人生が、今まさにスタートしました。
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