日本の季節行事は「食品廃棄の温床」という現実 外国人が驚く「商品の種類」とパッケージの美さ
このついつい買ってしまうという、購買意欲を掻き立てる現象は、飲み物に限らず、日本のデパートやスーパーにぎっしりと並ぶあらゆる食料品に言えることだ。必要以上に何種類もあるお茶の類や、本当に効果があるのか怪しいヘルシードリンクの数々、日本の子どもは虫歯が多いと言われるにもかかわらず溢れかえる清涼飲料水たち。
それらは生活を楽しくしてくれるかもしれないが、イタリア人から見たら、ちょっとtoo much感が否めない。イタリアでは喉が渇いたら水、お茶は家やカフェでゆっくり淹れて飲む、食事の時は水かワイン、というのが一般的だからだ。いつでもどこでも好きなものが飲めて、食べられる便利な暮らしを追求した結果、日本には商品の種類が溢れかえった。その結果、売れ残ってしまうもの、賞味期限が切れてしまうものなどなどが続出し、廃棄の運命をたどることになるのではないだろうか。
日本人のDNAに宿るMOTTAINAI精神を
イタリアでは(おそらく他の欧州諸国でも)、こと食品に関して言えば、みんなが買っているから、流行っているから、自分も買わなければ、という強迫観念のようなものはあまりない。流行のようなものはもちろんあるが、みんながそれに飛びつく、ということはない。流行ろうが、流行っていなかろうが、自分の食べたいものを、必要な分だけ買って食べていればいい、そう考えて暮らしていると思う。それでも国民全員が毎日75gの食料を廃棄する。
一方の日本はあふれんばかりの魅力的な食料を買って買って買わされまくり、その結果として114gを廃棄する。この2つの数字をどう捉えたらいいのか。日本人はイタリア人よりもずいぶんたくさん捨てていると考えるのか。それとも、莫大な資本主義の誘惑にさらされながらも日本人のDNAに宿るMOTTAINAI精神を発揮して1人114g、世界のワースト14位にとどまっていると考えるべきだろうか。
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