「企業は民主主義を損ねる」と批判されてきた理由 企業を「腐敗した存在」にしないための方策
しかし今、わたしたちが考えなくてはならないのは、企業が民主主義を変えたかどうかではない。変えたことはもはや自明だろう。そうではなく、どれほど民主主義を変えたか、どのように変えたかだ。
多くの識者の目には、それは悪いほうに変えたと映っている。間近で自分たちの組織の絶大な力が発揮されるのを目撃してきた企業内部の人間にも、そう感じている者がことのほかおおぜいいる。
冷笑家はこういう状況を前にしても、肩をすくめて、次のようにうそぶくだけかもしれない。「所詮、企業は他者の犠牲の上に富を築き、政治家に賄賂を贈り、民主主義を腐敗させるものだ。企業にほかに何を期待せよというのか」と。
歴史を通して見られるさまざまな解決策
しかし企業の歴史を紐解いてみれば、あまり性急に判断を下すべきではないことがわかる。新たな企業の不祥事や、新たな不正が明るみに出るたび、社会は課題に取り組んで、解決策を講じてきた。
政府から徴税を請け負っていた富豪たちがローマの属州を不当に苦しめていたことが発覚すると、皇帝アウグストゥスは政府が直接租税を徴収する方式に切り替えた。
東インド会社は株の仕組みのせいで社員間に争いが生じていることに気づくと、社員どうしでインセンティブが一致するよう恒久的な株を発行した。
1929年に発生した株価の大暴落後、一般投資家への株の売却で詐欺行為が横行していたことが明るみに出ると、米国議会は証券法と証券取引所法を制定して、一般投資家を欺く行為を取り締まり始めた。
これらは資本主義の世界に起こった重要な変化だが、忘れられていることが多い。企業ではなく、政府が税金を徴収することも、個々の事業ごとに利益を還元するのでなく、恒久的な株を発行することも、株主への情報開示を企業に義務づけることも、今では当たり前になっている。しかしそれらは昔から当たり前だったわけではない。
(翻訳:黒輪篤嗣)
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