「企業は民主主義を損ねる」と批判されてきた理由 企業を「腐敗した存在」にしないための方策
最近では、ジャーナリストのマット・タイビがゴールドマン・サックスを次のように評している。「まるで吸血鬼イカのごとく、人間に抱きついてきて、金の匂いのするものを見つけると、容赦なく、血を吸う漏斗を差し込む」。
しかし、最も古びない痛烈な批判といえるのは、お金の力を使って、民主主義の制度自体を損ねているという批判だろう。政治家に賄賂を贈り政府の事業を受注している、ロビイストを雇って世論を捻じ曲げている、選挙運動に協力した見返りに自社に都合のいい規制を導入させているといった批判だ。
中でもセオドア・ローズベルトによるものは情理を尽くした見事なものだった。1910年、ローズベルトはカンザス州オサワトミーのジョン・ブラウン記念公園で演説し、「公平な取引」への支持を表明した。それは「特別利益団体の悪影響と支配」から政府を解放するという意味だった。
企業が政治に振り向けるお金が、政治汚職の大きな原因になっています。[…]資産の真のよき友、真の保守主義者と呼べるのは、資産は国家の下僕であって、主人ではないと唱える人です。人間の手で作られたものは、あくまで人間の下僕であって、けっして主人にしてはならないと唱える人です。アメリカ合衆国の市民は、自分たちが生み出した強大な商業力の賢明な使い手にならなくてはなりません。
増し続ける企業の政治への影響力
企業が政府に大きな影響力を行使することに懸念を抱いた指導者は、ローズベルトが最初ではない。最後でもないだろう。
ウィリアム・シェイクスピアの『リア王』で、リアはもっとあからさまに次のようにいっている。「罪に黄金の鎧を着せてみよ。そうすれば頑丈な正義の槍も、傷ひとつつけられずに折れるだろう。だが、ぼろの鎧をまとわせれば、小人のわらにすら、突き通される」
企業が政治的に大きな力を持つのは、当然の成り行きだ。民主主義の政府には、民主主義に則るかぎり、社会の利害や、好悪や、願望が反映されていなくてはならない。したがって、企業が世の中に不可欠な存在になるほど、おのずと政治への影響力は増す。むしろ、政府が国内の巨大企業の利害に合わせて政策を変えないほうが、よっぽど驚くべきことといえるだろう。
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