「週刊誌を訴える」芸能人続出が暗示する"臨界点" 松本人志、デヴィ夫人ら相次ぐ提訴は何を意味するのか

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デヴィ夫人のコメントには、まさにこうしたネット上のムードを追い風にするような下記の文章がありました。

「最近は、一部の週刊誌が強い権力を持ち、一般の方が週刊誌に情報を提供し、週刊誌が他方当事者である著名人の言い分を公平に載せることなく著名人を貶め、社会から抹殺している事象が、多数見受けられます。そのような報道姿勢は、表現の自由、報道の自由に名を借りた言葉の暴力と申し上げざるを得ません。昨今、言葉の暴力が、人を死に至らしめたという痛ましい事件も発生しております。社会の公器たる報道機関が、むやみに言葉の暴力を振りかざすことを持て囃すかのような最近の風潮は、極めて危険であり、直ちに改められなければなりません。また、一般の方が、紛争解決のため、正規の手続に拠ることなく、週刊誌を使って著名人に追い込みをかけているとすれば、それは、報道機関が持つ権力を笠に、言葉の暴力を利用する共犯者というべきであり、そうした姿勢が正しいかどうかも、十分に検討されなければなりません。そのような思いから、今般、刑事告訴に踏み切る決断をした次第です」

これは自身に関する記事だけでなく、週刊誌そのものの報道姿勢を「言葉の暴力」と考え、「世間に問いかけたい」という強い意志を感じさせるコメントでした。

さらに「私は、事を荒立てず鎮静化を待つのが良いのか、あるいは、人がさらに離れて行くリスクも負いつつ法的措置に及ぶのが良いのか、熟慮を重ねておりました」とつづっていたことも示唆に富んでいます。これまで多くの芸能人は、週刊誌に記事を書かれ、それが真実とは異なっていても「事を荒立てずに沈静化を待つ」という選択肢を採るのがセオリーでした。

その背景には「反論すると『人気商売なのに器が小さい』と言われ、タレントイメージがさらに損なわれる」「『相手にしたら相手の思うつぼでこちらの負け』とみなされてきた」という昭和のころから続く芸能界ならではの考え方によるところもあるのでしょう。

短期間で人々のリテラシーが急上昇

しかし、時代は変わり、SNSで集中的に攻撃を受けてしまうほか、一連の情報が半永久的にネット上に残り続けてしまうデジタルタトゥーの問題などもあって、「事を荒立てずに沈静化を待つ」という方法では乗り切れなくなりました。つまり書かれた芸能人は週刊誌を訴えるなどのアクションを起こさなければ、「報道が正しい」とみなされて人々の攻撃を受けるほか、数年過ぎたあとも忘れてもらえず、再度の攻撃を受けてしまうリスクが残ってしまうのです。

報道の真偽こそわからないものの、松本さん、デヴィ夫人、三代さんに共通しているのは、「週刊誌報道の是非を世間に問いたい」という姿勢。特に松本さんの連日に及ぶ報道を踏まえてコメントする形ともなったデヴィ夫人と三代さんは、世間の風向きが変わりはじめたこともあってなのか、堂々と週刊誌報道の是非を問う姿勢を見せた感がありました。

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