しかし、大卒のいなかった澤木家にとって、彼が大学を卒業するというのは一家の悲願であったようです。
「とにかく1年浪人して、どこでもいいから大学に行け!」と言われた彼は、抵抗しながらも父親を納得させるために3月末に福岡大学を辞め、4月から代々木ゼミナールに通うようになります。
「2年間まったく勉強せず、現役のときより偏差値が下がっていると思っていたので、心の中では今から大学に行くのは絶対に無理だと思っていました。予備校では修猷館出身だと伝えたら好きなコースの授業を受けさせてもらえたので、『受かるわけがない!』と思いながらも明治中央コースに入れてもらい、浪人生活をスタートしました」
そもそも大学に行くつもりのなかった彼が、しぶしぶ3浪の年齢で浪人を始めたのは、「父親に諦めてもらうため」という消極的な理由だったそうです。
「父親に1年死ぬ気で頑張っている姿勢だけ見てもらえればいいと思っていたんです。一生懸命やってどこも受からないのを証明すれば、どうせ全部落ちるから、父親も僕に(勉強の)適性がなかったと諦めてくれるし、大学に行かなくて済むんだろうなと考えていました」
修行僧のような生活、成績もどんどん上昇
しかし、澤木さんはこの1年の頑張りによって、自身すらまったく想定していなかった成長を見せます。
「最初は仲のいい子が2浪で駒澤大学に進んでいたので、自分も日東駒専(日本大、東洋大、駒澤大、専修大)に入るくらいまで学力を上げられたらいいなという感じでした。ですが、睡眠と食事と風呂とトイレ以外はすべて勉強という修行僧のような生活をしていたので、偏差値がものすごく上がったんです。
今思えばたしかに、日本で一番勉強したなって思えるくらいには勉強していましたね。眠気がひどいときはシャーペンの芯を手に刺したり、ヒゲを抜いたりしていました。日光をまったく浴びずに室内にこもっていたので、顔も真っ白に変わっていましたね(笑)。そんな生活を続けていたら早稲田の政治経済学部の判定がAになって、代々木ゼミナール九州校で3位、全国でも2桁の順位に入るようになりました」
最初の模試で3科目平均50に満たなかった偏差値は、模試を受けるたびに5ほど上がったそうで、夏には60に到達。冬の最後の模試ではなんと77に到達しました。
当時の1日の勉強時間はなんと20時間。かつて高校受験で未履修科目であった日本地理を得意科目に変えて修猷館高校に4番で合格したように、澤木さんは自分でやると決めたら、際限なくやる人だったのです。
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