親は一橋か早稲田にいって商社マンになってほしかったそうですが、本人はこれといった将来の夢もないまま受験学年に突入。
高校3年生の夏くらいに模試で偏差値が40しかないことに気づいた彼は、『得意の運動を生かして体育の先生になろうかな』と思い、福岡大学体育学部体育学科を第1志望に設定します。
受験勉強をする気が起きず、直前期も勉強時間ゼロで浪人確定だと思っていた澤木さん。しかし、蓋を開けてみたらまさかまさかの合格だったそうです。
「受かるわけがないと思っていたので、驚きました。当時はみんな『修猷館は4年制!』と言っていて、隣の修猷学館という予備校に入るのがお決まりのコースでした。赤本も買わず、塾も行かずで、浪人する気満々でした。だから、浪人が決定したサッカー部の同級生は『なんでお前が大学生なんだ!』って怒っていましたね(笑)」
大学にいる意味を感じなくなる
こうして現役で福岡大学体育学部に進学した澤木さんは、大学でもサッカー部に入ります。高校でも主将を務めたように、運動神経には自信があった彼でしたが、彼はこの環境で同級生と自分を比べて、「すべてのレベルが違うこと」に愕然としたそうです。
「周囲の選手たちとは、大人と子どもくらいの実力差がありました。当時福岡大学のサッカー部は全国の頂点に君臨していて、高校で全国を経験している人しかいないスーパースター集団でした。来るところを間違えたと思って、1カ月もしないうちに部活に行かなくなり、学校にも行かなくなりました」
朝からパチンコ屋に通いつめたり、仲のいい浪人友達とゲーセンや麻雀に行ったりしていた澤木さんは、しだいに学校にいる意味を感じなくなっていきます。
ずっと「辞めたい」と思っていて、ようやく父親に切り出したときには2年生の終わりになっていました。
「もう大学に行きたくはありませんでした。だから、『1年間勉強して公務員になろうと思ったので、そのための専門学校に行かせてほしい』と伝えたんです」
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