戦の施設だったお城に、月を愛でる場が誕生。お城から眺める月、暗闇に浮かぶお城と月の競演、どちらも情緒があります。
平和な時代ゆえの風情
松本城は、徳川家康から豊臣秀吉に主君を替えた石川数正と息子・康長が大規模な改修をしました。大天守、渡櫓(わたりやぐら)、乾(いぬい)小天守は、戦国時代末期の1590年代にできたと考えられています。
江戸を治めていた家康を見張るための秀吉側のお城で、長野県にある上田城や高島城、小諸城などとともに、秀吉は「江戸包囲網」を形成していたそうです。
地盤が弱い場所なので、1000トンもの重さがある大天守を支えられるように、実は天守台の石垣の内側には16本の太い丸太杭が立てられていました。また、石垣が沈まないように、堀底に丸太を筏のように敷きつめて、その上に胴木を2本置いてから石垣を積んでいます。
隠れたところにも土地に合わせた築城の工夫があるのです。
家光をもてなすための月見櫓
長野県にある国宝・松本城の「月見櫓(やぐら)」は、お月見をするための櫓。戦国時代には考えられない、平和な江戸時代の発想です。
当時の城主・松平直政は、三代将軍・徳川家光のいとこでした。1634(寛永11)年に家光が松本城に来ることになったので、月見の宴でおもてなしをするために、前年の1633(寛永10)年から櫓を増築したそうです。
昼間の月見櫓の中は明るく、とても開放感があります。三方はすべて大きな戸で、外からの日差しがたっぷり差しこんでいるのです。戸を外すと、さらに視界が広がり、屋内からお月見ができるように考えられています。
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