かつてタブー視「肉食」が日本で普及した納得理由 675年には肉食禁止令、たどると深い歴史的経緯

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天武天皇4年(675)に、天武天皇は肉食禁止令を発している。仏教の影響だという指摘もあるが、禁令の対象は牛馬などに限られ、それまで日本人が食べてきた鹿や猪は除外された。これでは禁止する意味がないが、稲作への影響を鑑みると、目的が明らかになってくる。

この禁止令は、4~9月までの期間、つまりは稲作期間に限定されたものだった。おそらく、動物の殺生が稲作の妨げ(穢れ)になる、という考え方が広まっていたのだろう。稲が無事に実ることは、古代国家にとって重要であった。

米は聖なる食べ物として敬われていた。天皇も稲の収穫を祝って新穀を神々に供え、そして自分も食することで翌年の豊穣を祈願する新嘗祭を執り行った。だからこそ、不必要な殺生を控えることが求められたと考えられる。言い換えると、稲作に支障がなければ肉食は許容されたということだ。

翻って江戸時代に入ると、米の収穫高を社会的価値の基準に据えた石高制社会が到来する。江戸時代は米がすべての価値の基準となっており、土地の評価額から武士の身上に至るまで米で表示された。

それゆえ、肉食をタブー視する風潮が強まるのは自然の勢いだったが、人々が肉をまったく食べなかったわけではない。というより、世俗化した江戸時代において、食のタブーは揺らぎつつあった。

江戸時代初期から鳥類は食の対象とされていたし、時代が下ると獣肉食も珍しくはなかった。これからみていくのはそうした、食に対する人々の本音である。

その数なんと18種類!バリエーション豊かな鳥肉

そもそも江戸時代において、鳥を食べるのは当たり前のことだった。江戸初期にあたる寛永20年(1643)に刊行された『料理物語』という本には、鴨・雉・鷺(さぎ)・鶉(うずら)・雲雀(ひばり)など、18種もの野鳥が取り上げられている。

現代では口にしない、様々な鳥が食用だったことがわかる。しかも調理法も多様だ。鴨の場合でみると、汁・刺身・なますなど15種類以上の料理法が紹介されている。

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