戦後の日本で「すき焼き店」が衰退した意外な事情 一方で焼鳥店や焼肉店が店舗数を増やした
“現在は牛屋、鳥屋というものが数少なくなったが、俺の育つ頃は、今の洋食屋、支那蕎麦屋の如く、牛屋、鳥屋が到るところにあったものだ”(小島政二郎『下谷生れ』)
1894(明治27)年東京生まれの作家・小島政二郎の証言です。現在はその数を減らしてしまいましたが、戦前は牛肉のすき焼き(牛鍋)を中心メニューとした「牛屋」、鶏肉のすき焼き(鳥鍋)を売り物にした「鳥屋」が東京・大阪に数多く存在しました。
ところが戦後、すき焼きを提供する「鳥屋」「牛屋」が衰退。かわって数を増やしたのが、焼鳥店と牛肉を使った焼肉店。
“座敷へ通して、鳥鍋を食わせる家が少くなった。芝口に有名な家が一二軒残っている外は、みんな焼鳥屋になってしまった”(小島政二郎『天下一品』)
つまり外食業におけるメジャーな調理法が「煮る」から「焼く」へと変化したのです。
外食の変化の裏側にある「鶏肉の変化」
現在も営業を続ける数少ない戦前からの「鳥屋」、「玉ひで」の7代目主人山田耕路も、次のように証言します。
“しゃも鍋屋、まあ、しゃもを使わずにふつうの鶏を出してれば鶏鍋屋だけれども、戦前まではずいぶんあったんです”(岩崎信也『食べもの屋の昭和』)
山田氏によると、「煮る」から「焼く」へと外食店が変化した理由は、鶏肉の変化にあったそうです。
“それが戦後、しゃもはなくなる、ブロイラーで鶏がまずくなって、鍋屋がどんどん廃業して。やきとり屋に取って代わられちゃった感じですね”
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