戦後の日本で「すき焼き店」が衰退した意外な事情 一方で焼鳥店や焼肉店が店舗数を増やした
1970年に日本に進出したケンタッキーフライドチキン。当初なかなか普及しなかったフライドチキンですが、1974年にローストチキンに便乗する形で「ケンタッキークリスマス」を開始すると、一気に普及していきました。
ブロイラーの普及が焼鳥やクリスマスに与えたインパクトの詳細については、拙著『焼鳥の戦前史』を参照してください。
和牛に大きな変化が起こる
日本の伝統的な牛肉、和牛に最も適した料理法も、すき焼きでした。東京では1900年前後に、従来の味噌味に変わり、醤油と味醂の割下を使った現在のすき焼き(当時の名前は牛鍋)が成立します(拙著『牛丼の戦前史』参照)。
ところが1950~1960年代に、和牛に大きな変化が起こります。
それまでの和牛は、農耕や運搬に利用されていた「使役牛」を食肉用に流用していました。数年間田畑を耕して働いた後に、若干の肥育期間を経て肉用として出荷していたのです。
ところが、1950~1960年代にトラクターなどの農業機械が普及し始めたため、使役牛はその姿を消していきます。和牛は使役牛の流用ではなく、最初から食肉用として飼育されるようになっていきます。
当然のことながら飼育コストは高くなり、和牛は現在のような高価な牛肉となっていきました。そして高級となった和牛に対して、相対的に競争力を増したのが輸入牛肉です。
1971年のドルショック以降、1ドル=360円だった円はドルに対し高くなり続け、アメリカなどからの輸入牛肉の値段は安くなっていきました。1990年代以降は関税も引き下げられ、ますます輸入牛肉は普及していきました。
アメリカやオーストラリアの牛肉は、ステーキ、バーベキュー、ハンバーガーのパティなどの焼く料理に適しています。こうして輸入牛肉が普及するのにともない、焼肉店が増えていったのです。
値段だけではありません。伝統的な使役牛としての和牛と、1950~60年代以降の食肉専用に飼育された和牛では、その肉質も異なっていたようなのです。
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