SNS多用する人に伝えたい、相手を傷つけない技術 文字によるコミュニケーションが難しい理由
強調する部分を太字であらわすと、「それはフェアではないと私は思います」は、「個人的にはフェアはないと思う(が、他の人がどうかは知らない)」ということだし、「それはフェアではないと私は思います」は、「〔ふわっと思っているだけで、そこまで確固たる考えではないという意味で〕フェアかそうではないかは正直決めきれない」という意味になる。
こういうニュアンスは話し言葉だと明らかだが、書き言葉だと色々と推察しなくてはならない。ひとたび意味を間違って受け取ってしまうと、会話は脇道に逸れ、不毛な分断を煽るだけの議論になってしまいかねない。
プラットフォームごとに特性は異なる
こういった問題のせいで文字によるコミュニケーションはずっと難しいものにならざるを得ないのであって、それはプライベート〔なやりとり〕でも事情は変わらない。
ただ、ソーシャルメディアは基本的には公開されたもので、公開の場での会話の力学は非常に異なったものになるだろうし、参加者があなたとそのパートナーという思慮深い二人だけだということはほぼない(この問題についてはすぐ後でまた触れる)。
対面の会話は、豊かな「音楽」や「ダンス」とでも言うべき、声のトーンやボディ・ランゲージによって彩られているわけだが、それらを欠く文章でのコミュニケーションはただでさえ難しい。ソーシャルメディア上での会話は、先の要因によって、〔普通の文章コミュニケーションよりも〕さらに困難なものになっている。
さらにややこしいことに、各ソーシャルメディア・プラットフォームはどれも異なったインフラを有しているがために、それぞれが特有の問題を突きつけてくる。
例えば、ツイッター〔X〕では一つのツイート〔ポスト〕ごとに280文字の上限があり、〔投稿された情報の〕ほとんどが公開されている。
原則として、ツイッターで議論はしてはならない(もしどうしても議論に参加しなければならないと感じた場合でも、やりとりは2往復で止めておこう。このメディアは、繊細な議論をすることには向いていないのだ。
必要に応じて、この〔やりとりは2回までにしているというあなたの〕原則を説明したり、メールその他の私信で議論を続けることを相手に提案するために、3つ目の返事を加えてもよい)。