私の現場経験から③日本の聞けない文化
ここ数年、X(旧Twitter)を見ていると驚くことがある。芸能人でも文化人でもいいのだが、少し間違ったことを述べると、有象無象がその間違いを指摘する。
政治学者が、自身の専門領域について間違えるのは問題かもしれない。しかし専門家でも、専門領域のなかでも少しズレただけで、意外と物事を知らない。これは批判ではなく、そういうものだ。
それなのに、Xでは、にわかの知ったかぶりする人にあふれている。きっと、専門家の間違いを指摘する人も、少し調べただけの場合がほとんどだ。
欧米人が初歩的な質問をしてくる理由
ただ、欧米人(とくにアメリカ人)と仕事をした人は納得してくれるだろうが、とんでもなく初歩的な質問をしてくる。「え、それを聞く?」という内容が多い。驚くほどだ。
これは海外でセミナーに参加した経験がある人も同意見だろう。堂々ととんでもない基本的な質問をしている。つまり、これは、その場を使って、お互いを齟齬なく理解するためだ。
日本では「お耳に入れておく」というフレーズがある。これは、「これを知らずに、あなたが特定の場所に出たら恥をかきますよ」という想い(忖度)に立脚している。だから根回しや、会議の前の会議、さらにその前のレクチャーなど、時間が費やされる。
さらに、役職者は日本の場合、「その事情は知りません」とは言いにくいから、部下も上司も時間をとってインプットしようとする。ここに日本の不幸があるように思うのだ。
もっとも、私たちは旧世代を嘆いてもしかたがない。旧世代への不満は、新世代が覆すしかない。悪しき習慣があればそれを上に立ったときに繰り返さない。きっと、三菱UFJ銀行の会議改革を立ち上げたプロジェクトは、そのようなかつての時代への忸怩たる思いがあったのではないか。何も決めたくないから、会議ばかり繰り返す人たちはきっと、これから消え去る運命にある。
と同時に、私があげた①②③も、問題とされながら、まだ解決にいたっていない端境期にあるといえるだろう。少なくとも自覚すること。そして、その改革を実践できるかは、読者一人ひとりにかかっているように思われる。
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