それと結びつけるのは少々うがちすぎかもしれませんが、口の動きと声音から相手の感情を読み取ろうとする傾向は、日本人より強いのは確かなようです。
とにもかくにも、コロナ防止という社会情勢が強いたマスク着用の影響は、はじき切れないにせよ、スマホ普及と反比例状態の「生きた」会話の希薄さが、LINEにおける「。」添付の有無問題を生じさせているのだとしたら――。
私たちが大事にしている日本語は、そんなに底の浅いものなのでしょうか。
「お前は息子でも何でもない」に込められた意味
たとえば「ばか」という言葉。
漢字で書けば「馬鹿」、あるいはカタカナの「バカ」。
スマホ画面では単なる2文字でも、そこに送り手の顔が浮かび、声が聞こえる気がするならば、さまざまな感情が受け手に伝わってくるはずです。
本当に罵っているのか、あるいは言葉と裏腹に甘えや愛しさを込めたものか……などなど。
文末に「。」があろうがなかろうが、機器相手ではなく、きちんと生身の人間相手と密な関係を構築している人には、きっと理解できるのではないかと思います。
そういえば最近、言葉に関する次のような話がたいへん印象に残りました。
昨年秋に亡くなった歌舞伎役者の父親(市川猿翁=三代目猿之助)を偲ぶ会で、息子の俳優・香川照之さんが初めて明かした告白です。
両親の離婚で、母親に連れられて幼いころ家を出た香川さんは、父親とは45年間絶縁状態にあったと伝えられていましたが、じつは25歳のとき、無性に父親に会いたくなって突然、楽屋に訪ねていったそうです。
「僕を見て父はひどく怒り、『お前は息子でも何でもない。帰りなさい!』と。
でも、その言葉は僕には『お前を愛している』としか聞こえませんでした」
まさに気持ちが言葉を凌駕している、としか言いようがありません。
こうした例もあることを踏まえれば、なおのこと――、「。」を打ったり、絵文字を添えるだけで、人と心からのコミュニケーションが取れていることになるのか……と、どうしても思ってしまいます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら