別れの手紙を託し生死と向き合った音楽家の覚悟 このお手紙がお手元に届く時、僕はこの世におりません

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10月から11月にかけては、予定していたライブの中止や出演者変更のお知らせがスタッフによってなされたのみだ。そして11月14日、冒頭で引用した「このお手紙がお手元に届く時、僕はこの世におりません」の文章が公式サイトのトップに掲げられた。あと2週間弱で65歳の誕生日を迎えるところだった。

託された手紙

「年を越すのは厳しいかも」「あなたは今、危篤状態です」。時間をおいて軽妙に語られる闘病の跡からは、間近に迫る死と直面して過ごした様子が垣間見られる。退院して間もなくに胃がんであると単刀直入に語った1回目の手術後とは様相が異なる。「個人的な相性があって2回ほど七転八倒した」と軽くカッコ書きで語られるように、抗がん剤治療も決して楽なものではなかっただろう。

直接的な恐怖や苦痛をブログで語らない。それは佐山さんの気遣いであり、美学だったのかもしれない。軽やかで楽しいビアノの調べとも重なる気がする。背景にはさまざまな思いがあり、どうにかして生をつなぎたい悲壮な強い意志がある。それでも死が近づく現実からは目を背けない。そうした諸々が別れの手紙に詰まっているように思えた。改めて引用したい。

<このお手紙がお手元に届く時、僕はこの世におりませんが、長きに亘ってのお付き合いにお礼を言いたくて家人に託しました。
 加山雄三とタイガースが大好きな中学生。高度成長期大阪の衛星都市尼崎に親父が構えた小~さな小売商を継ぐことに何の疑念も持たないごく普通(以下)の子供がジャズとの出会いで、楽しさこの上ない人生を送ってしまいました。
 まことに人生は出会いであります。
 「君の身体は君の食べたモノで出来ている」と言いますが、まったく同様に僕という者は僕が出会った人々で出来ているのだとしみじみ実感したことです。
 その出会いを皆様にあらためて感謝しつつ、今後益々の良き日日を祈りながらお別れをします。
 ありがとう、さようなら
 2018年11月14日 佐山雅弘>

 

佐山雅弘

公式サイトのトップページ

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公式サイトの運営を任されたスタッフの方によると、この文章は少なくとも2017年4月にはしたためられて家族に託されていたという。再び体調が悪化してから腸閉塞が判明した時期だ。それから1年半、死と隣り合わせの覚悟を心に留めて精力的な活動を続けていたのだ。

そんな佐山さんの生きた証しを、今後も古びさせずに維持していきたいとスタッフの方は語る。実際、佐山さんの没後も演奏を収めた動画や、過去のFacebookの投稿、ゲスト出演した動画などをピックアップして投稿し、サイトを動かしている。Facebookのファンページはより頻繁に更新中だ。

たとえば、亡くなった当日にはファンページに佐山さんのピアノソロライブの映像がアップされている。収録日は2018年8月21日。ミュージカルのステージに上がるのを断念した同月のものだが、奏でる音楽にも表情にも楽しさが溢れていた。

佐山雅弘
ファンページにアップされたビアノソロライブの様子

佐山さんの生演奏を鑑賞することはもう叶わないが、いまも多くの音源に触れられるし、人となりも知れる。ファンや関係者の思いもサイトやFacebookに加えられていく。

死後もなお、現役の場がこうして残される。少し前の時代ならなしえないことだが、現代の環境でも誰しも実現できるものではないだろう。そこを感じさせない軽やかさが、佐山さんのサイトにはある。

古田 雄介 フリーランスライター

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ふるた ゆうすけ / Yusuke Furuta

1977年生まれ。名古屋工業大学卒業後、建設会社と葬儀会社を経て2002年から雑誌記者に転職。2010年からデジタル遺品や故人のサイトの追跡している。著書に『第2版 デジタル遺品の探しかた・しまいかた、残しかた+隠しかた』(伊勢田篤史との共著/日本加除出版)、『ネットで故人の声を聴け』(光文社新書)、『故人サイト』(社会評論社)など。

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