別れの手紙を託し生死と向き合った音楽家の覚悟 このお手紙がお手元に届く時、僕はこの世におりません

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佐山さん自身の文章が投稿されたのは半年経った11月30日。抗がん剤治療で入院中に外出許可をとってレコーディングに参加した、シンガーソングライター・南佳孝さんのLPを紹介するものだった。1回目の治療よりも苦しんでいる様子が伝わってくるが、あえて触れないでいる旨が文末に添えられていた。

<PS:体調と言うか病状の経過報告みたいなものもした方が良いかとも思うのですがなんせ先の見えないこととて、アップする頃には嘘になることも容易に予想されるので控えてます。これを書いている11月30日現在は小康を保てている、というくらいでご了解ください。>
2017年11月30日「新作私記」

当時の状況が詳細に語られるのは2018年6月以降になる。自らが所属する新バンド・B'Ridgeによる同名CDの制作背景を伝える流れで、およそ1年の体調を少しずつ明らかにしていった。

「あなたは今、危篤状態です」

2018年の春から再び腹部に違和感を覚えるようになり、ライブの際も中継中や終演後はソファに横たわるくらいに体調が悪くなっていたという。5月に入ると主治医から「胃腸検査の画像で不審な点がある」と言われて入院。そこで現状を知らされる。

<胃癌から大腸への転移、加えて小腸への播種が発見されたのが17年5月。当面の症状は腸閉塞。入院即手術で大腸をバイパスして人工肛門。
「ちょっと考える時間をもらえますか?」
「緊急事態です。ノーチョイスです」
 来週に控えた寺井バンドのツアーを終えてから、なんて言ってるとその途中で死んじゃうそうだ。>
2018年6月21日「中期的経緯 発案→中断→実現、の経緯。2017年の出来事④」

新たなバンドでCDを出す話は療養中に持ちかけられた。医師から「年を越すのは厳しいかも」とも言われた腹膜播種と、抗がん剤治療に苦しむなかで、プロデューサーからかけられた「年が明けて体調が戻ったら録りましょうね」という言葉を励みに懸命に体調を戻していった。そして2月末にどうにかレコーディングを終える。1~2曲録っては30分休むという状況で2日間集中し、全12曲の音源が揃った。

佐山雅弘
B'Ridgeのレコーディング背景を伝える連作ブログ

その直後に高熱を発し、血液検査すると白血球が異常に増えているという。骨髄への転移が疑われて緊急入院となる。

<来ましたねぇ、と入院先に担ぎ込まれる間は意識朦朧。気がつくと集中治療室で10人ほどの医師看護師に囲まれて身体中に針を刺したりチューブを入れたり。
「おおごとですねぇ」と声をかけると
「血圧が60を下回っていてあなたは今、危篤状態です」でもぼうっとしているので苦しくはない。こうやってデクレッシェンドで死んで行くならラクでいいわい、と思うのは最初の衰弱の時から5回目ぐらいにはなるだろうか。>
2018年6月25日「短期的経過 あわや中止か? 2018年初頭の出来事⑤」)

幸い骨髄転移ではなく、退院すると佐山さんは再び社会に向けて精力的に動き出した。7月にCDを販売し、8月公演のミュージカルへの楽曲提供も行った。その間、週に2回は大学で教壇にも立っている。秋に向けて自身を含む複数人のジャズピアニストが一堂に会したライブイベントの計画も打ち出している。

ただし、万全に戻ったわけではなかった。8月のミュージカルはステージに乗るつもりでいたが、体調が優れずに断念している。8月半ばには血液検査の数値が思わしくなく、そのまま療養入院を余儀なくされた。それでも9月にはB'Ridgeのライブステージを完遂しているが、ライブの感想が本人から語られた文章は残されていない。

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