――服部悦雄氏の人生は想像を絶するという言葉がぴったりです。
こんな人がいると紹介されて会う前から興味深かったが、実際に中国での体験を聞いて驚嘆した。服部さんの壮絶な人生は、まさに『大地の子』の世界だ。
小学生の頃に見た国民党残党が銃殺刑に処される姿、目隠し用の白いタオルを奪い合う子供たち。一つひとつのエピソードに圧倒的なリアリティーがある。しかも、はるか昔のことではなく、ほんの50~60年前に隣の国で起きていたことだ。
極限の飢餓では家族でもコメを巡っていがみ合う。人間の醜悪な部分、むき出しの感情が家族に対してでも出る。日本に帰ってきて食べるのに困らなくなっても、夢に出てくるという。
令和の、AI(人工知能)の時代だが、服部さんの戦後は終わっていない。これは書き残さないといけない。ペンを持つ者の使命だと思った。
心の内に空疎感がある服部さんへの鎮魂歌
――服部さんは非常に複雑な人物です。信頼を得て、取材できたのはなぜでしょうか。
大学時代、留学生である中国共産党高官の息子と付き合いがあったため、私が中国のことをよく知っていた。それが信頼につながったのではないか。
彼のメンタリティーは中国人で、実利の人だ。ただし、取材を受ける実利はない。失意の中で日本に帰ってきて、どこかで承認欲求があったのだろう。
トヨタ中国のOB会で「第一汽車との合併、広州汽車との合弁は、すべて僕が決めて、僕がやってきた」とあいさつしている。こんなこと、日本人はなかなか言わない。だから、現役時代は周囲から違和感を持たれ、敵も多かった。
彼の心の内には空疎感がある。トヨタの東京本社が見える彼のマンションを何回か訪問したが、生活感がない。高級な革張りのソファがあるくらいで、身の回りの物は最低限。冷え冷えした部屋の空気が彼の心象風景を示しているようで哀れだなとも思った。
この本は服部さんへのある種の鎮魂歌。私なりに彼の人生に1つの落とし前を付けたつもりだ。
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