紫式部が青春時代に直面した「悲しい2つの別れ」 母のように接した姉の死と、もう1つの別れ
女性からは、年明けてから返歌が届きます。「行きめぐり逢ふを松浦の鏡には誰をかけつつ祈るとか知る」(遠い地を巡り、再び巡り合うことを待つ私は、松浦の鏡の神様に誰に会いたいとお祈りしているとお思いですか)と。2人の熱い友情が伝わってきます。
式部の父・為時が越前守に任命されたのは、996年のことでした。10年ぶりの任官だったといいますから、為時は喜んだと思われます。
失業中であっても、従者や侍女は養っていかねばならなかったので、越前守就任は、為時にとって明るい未来に思えたでしょう。
ちなみに、為時の越前守就任には、1つの逸話が残されています。実は、為時は最初は淡路守に任命されていたのです。
ところが、淡路国というのは下国(最下級の国)に区分されるところ。これを嘆いた為時は、一条天皇に仕える女房に「寒夜も一心に学問に励んできました。それは血涙を流すほどでありました。そうであるのに、その功績も認められず、力量に相応しくない官職に任命されました。任命の儀式のあった日の夜が明けた春の朝、私は空しく晴れ渡った空を眺め、思いにふけっています」との意味の文を託します。
その一文は、一条天皇の目に触れ、天皇をいたく感動させるのです。感動されたばかりか、天皇は俊英を十分に活用できていなかった自らを恥じ、食事も取られず、引きこもってしまいます。
父の出世の裏で、不安を抱く紫式部
その様子を見たのが、藤原道長でした。道長は、自らの乳母子(乳兄弟)の源国盛が越前守に任命されたのを止めて、代わりに為時を越前守に任じたのでした。一条天皇は、道長の処置に大層、満足されたようです。為時の行為は、ある意味、賭けとも言えるものでしたが、それが見事、成功したのでした。
しかし、式部の心情はどのようなものだったでしょう。都から遠く離れた雪国に行かなければならない。住み慣れた都を離れなければいけない。越前とはどのような国であろうか。好奇心もあったでしょうが、不安もまた去来したように思います。
(主要参考文献一覧)
・清水好子『紫式部』(岩波書店、1973)
・今井源衛『紫式部』(吉川弘文館、1985)
・紫式部著、山本淳子翻訳『紫式部日記』(角川学芸出版、2010)
・倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社、2023)
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