紫式部が青春時代に直面した「悲しい2つの別れ」 母のように接した姉の死と、もう1つの別れ

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この女性からは、返歌がきました。「返しは西の海の人なり」(西の海は西海道のこと。今の九州を指す)と式部は書いているので、文通のお相手の父は、九州のどこかの国の国司に任命されたのでしょう。

文通のお相手の女性は、友達ではなく、式部の親戚だったという指摘もありますが、その女性の返しの歌は「行きめぐり誰も都にかへる山いつはたと聞くほどのはるけさ」というもの。

「任国に下っても、4年の歳月が経てば、皆、都に帰ってきますが(国司の任期は4年)、かえる山・五幡(いずれも地名)と伺っては、本当に遠く離れてしまうことが思われて、いつお目にかかれるかと心細く感じています」と、式部から「姉君」と呼ばれた女性は、式部との再会を心配しています。

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越前市にある紫式部公園(写真:T.Fukuoka / PIXTA)

ちなみに、かえる山(鹿蒜山)・五幡というのは、越前国(今の福井県)の地名です。このことから、式部のほうは、都を離れて越前にくだることがわかります。式部の父・藤原為時が越前守に任命されたからです。

姉君と慕った女性が遠方へと旅立つ

「姉君」と呼ばれた女性は、先に家族とともに旅立ったのでしょう、旅先から歌が送られてきました。「津の国といふ所よりおこせたりける」との詞書があり「難波潟群れたる鳥のもろともに立ち居るものと思はましかば」という歌が送られてきたのでした。

「難波潟」というのは、今の大阪湾(摂津国)の辺りを指します。その女性は、海鳥が干潟に群れる光景を目にしたのでしょう。そしてそれは、都の邸で暮らしてきた女性にとっては、感動的な光景だったはずです。だから、歌に詠み込んだものと思われます。

「あの鳥たちのように、あなたといつも一緒に何かしていられたらよいのに」。この歌を見て、式部は涙ぐんだかもしれません。その女性からの手紙を見たときは、すでに越前に下ってからでした。「筑紫に肥前といふ所より文おこせたるを、いとはるかなる所にて見けり」との詞書からその事がわかります。

「いとはるかなる所」というのは、越前を指します。文通相手の女性は、肥前国(佐賀県・長崎県)に赴いたことがここで判明します。女性の手紙を見た式部は、越前で歌を詠みます。「あひ見むと思ふ心は松浦なる鏡の神や空に見るらむ」と。

「あなたにお逢いしたいと思う私の心を何と言い表してよいか、とても口では表せません。でも、きっと松浦(肥前国の地名)の鏡の神様が天翔けて御照覧なさっているでしょう」との意味です。神かけて友情を誓う歌なのですが、どこか恋歌のように感じるのは、私だけでしょうか。

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