「奨学金450万円」借りた女性が中国で就いた仕事 男尊女卑、モラハラ夫、コロナを乗り越えて…

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そこから戸上さんは、国際経済学を学ぶために大学院進学を決意。学部時代は電車内で勉強漬けで、成績が平均Aだったため、系列の大学院に自己推薦で入学することができた。

そして、大学院進学を機に新たに50万円近くの奨学金を借りる。これで合計450万円となる。さらに、1年間留年することで、タイに交換留学で行くこともできた。

就職活動のタイミングを逃し、選んだ道は…

こうして、アジア経済を肌で学ぶことのできた戸上さんだったが、完全に就職活動のタイミングを逃してしまった。

「修士過程の2年目の夏に留学先から戻ってきたのですが、その頃には世間も『就活終わり』という雰囲気でした。わたしは勉強を第一に考えて『修士論文を書き終えたら就活しよう』と、のんびり構えていたんですよね。翌年1月、無事に修論を提出して、審査も終わった2月頃になって、ようやくお尻に火が点いて就活を始めましたが、どの企業も応募は締め切っているので、まぁ無理でした」

進路も決まっていないまま、修士課程を終えてしまった戸上さん。そこから、彼女は博士課程には進まず、結婚という道を選んだ。

「当時、付き合っていた中国人の彼氏に『卒業したら結婚しよう』という話をされていたので、卒業と同時に結婚しちゃいました。6歳年上の夫は、同じ大学院を出ているのですが、いい感じの仕事に就いており、着実にキャリアを積んでいました。

そこで、夫から『子どもが欲しいから仕事しなくてもいいんじゃないか? 専業主婦という道もあるだろう?』と提案されて。さすがに、それはこれまで自分が勉強したことを、すべて捨てるような考えだったので、どうにかして『自分の学んできたことを社会に活かしたい! 社会参加したい!』と思って、正社員の仕事を探しました」

本腰を入れて改めて就活を始めたのはいいが、時代は就活氷河期。100近くのもの履歴書を書いたものの、職歴なしの院卒既婚女性は条件が悪く、選考には落ち続けるばかり。しかし、若者向けハローワークに通い、相談員のアドバイスも受け、なんとか見つけた正社員の研究職に就くことができた。

そこから3年。戸上さんは転職を果たして、外資系メーカーで働き始めると、高度不妊治療を経て、第1子を出産。勤務先では初めてとなる産休・育休を経て、産後8カ月で職場に復帰した。

「ただ、職場の雰囲気とメンバーが以前と変わっていて、非常に仕事がやりにくくなっていました。しかも、保育園に預けている子どもはしょっちゅう熱を出すので、上司に頭を下げてお迎えに行くことも多々ありました」
 また、戸上さんが働きたい理由は社会参加したいからだけでなく、毎月2万5000円の奨学金の返済もあったからだ。そうしているうちに、次第に夫婦関係にもほころびが生じ始める。

「子どもが病気を繰り返すようになり、ついには肺炎で入院になってしまいます。当然ながら、その付き添いをやらなければならないのですが、夫は一切手伝ってくれなかったんです。疲労で仕事のミスも連発するようになり、精神的に病みました。そんな中、いよいよわたしも過労で倒れてしまいます。

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