「政府機関の仕事は3年契約。延長も可能でしたが、自立のためにはまだ足りない待遇。求人を探していたところ『中国語が話せなくても、日本人女性で安定性を優先。給料は2万5000元(当時の50万円程度)』という求人を見つけたんです。いざ、応募してみたところ、いろいろと物事がうまく重なり、さらに面接はすべて中国語だったのですが、自分でも驚くほどスムーズに受け答えができたので、すんなり受かりました」
夫のモラハラが日々激化…離婚を決意
こうして、戸上さんが異国の地で働き始めた一方で、彼女の夫の人生に、悪運が垂れ込めるようになった。
「わたしが政府機関で働き始めた頃、夫の仕事がうまくいかなくなり、クビになってしまったんです。 そこで、彼は日本での仕事を見つけて、一時上海を離れました。日本で1年半働いていたのですが、結局うまく成果が出せずに、上海駐在の仕事を見つけて帰国しました。
昔からストレスが溜まってしまうとモラハラの気があったのですが、それがどんどん悪化したんですね。というのも、彼はそのとき40代後半で、頑固で精神的に不安定になってきたんです。『人生の総仕上げの時期なのに、どうして悪いことばかり起きるんだ!』と、抑えきれない怒りの感情をすべてわたしにぶつけてきたんです。当時はもう毎日が地獄絵図でした」
夫の怒りに拍車をかけるかのごとく、この時期の上海は新型コロナウイルスの影響で、全市民が缶詰め状態になっていた……。戸上さんの新しい仕事は在宅勤務を余儀なくされ、仕事もままならない夫の鬱憤は溜まるばかりで、モラハラも日々激化した。
さらに、不幸なことに彼女の母親が亡くなってしまうのだが、ロックダウンのため、国外にも出られず、葬儀に参加することも叶わなかった。
そんな日々にとうとう我慢の限界が訪れた戸上さんは異国の地で離婚を決意。現在、夫とは別居状態で、親権などを巡る離婚裁判の真っ最中である。
なかなか、波乱万丈な海外在住生活を送っているが、「これも今の仕事がなければできなかったことであり、そのチャンスを与えてくれた奨学金に感謝しています」と、語る。
「奨学金に対して恨みやつらみは特にありません。奨学金の返済があったからこそ、常にプレッシャーを感じて『450万円は絶対に返すんだ!』という気持ちで仕事と子育てに打ち込むことができました。奨学金を借りて学んだことを無駄にしたくない……。そのような、『意地』が自分の中で生まれたのだと思います。それに、離婚してわたしの貯金が空っぽになっても、夫は絶対にお金をくれないでしょう(笑)。だから、奨学金は『自分で稼がなくてはならない』という、『生きる力』や『自立する力の根源』になっていると思うんです」
常に自分に厳しく生きてきた戸上さん。海外でも苦境に負けず、たくましく生きられているのは、良くも悪くも奨学金という存在が、彼女を突き動かしてくれたのだろう。
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