あまり知られていないが、グローバリゼーションは過去から未来にかけて直線的に進んでいくのでもなければ、1990年代初頭からグローバリゼーションが始まったのでもない。19世紀後半にはすでにグローバリゼーションが起きていたのであり、それは第一次世界大戦の勃発によって途絶した。この約半世紀の期間は「第一次グローバリゼーション」と呼ばれている。1990年代以降のいわゆる「グローバリゼーション」は、「第二次」なのである。
そして、その「第二次グローバリゼーション」も、すでに終焉した。その終わりの始まりは2008年の世界金融危機(リーマン・ショック)である。それ以降、2010年代を通じて、保護主義の台頭、ポピュリズム、地政学的不安定化などにより、「脱グローバリゼーション」が進んだ。そして、2020年代初頭のウクライナ戦争をはじめとする地政学的危機の連鎖によって、第二次グローバリゼーションの息の根は完全に止められた(その経過については、『世界インフレと戦争』 を参照されたい)。
「歴史は繰り返さないが、韻を踏む」という言葉の通り、現代の政治経済的環境は、ケインズが『平和の経済的帰結』を書いた当時とよく似ているのだ。それだけでも、今、本書を読み返す理由としては十分である。
国際政治経済の問題は1つの娯楽でしかなかった
だが、100年前と似ているのは、政治経済的環境だけではない。その環境の変化に気づかない鈍さや見通しの甘さについても、当時と同じ韻を踏んでいるようだ。ケインズは、『平和の経済的帰結』の中で、次のように書いている。
軍国主義や帝国主義、人種や文化の競合、独占、規制、排除の構想と政策は、この楽園における蛇の役割を果たすはずだった。だがそうしたものは、日々の新聞に載る娯楽の種でしかなく、社会経済の通常の方向性にはほとんど影響を与えないように思えた。社会経済の国際化は、実際問題としてはほぼ完成したと思われていたのだ。(pp.12-13)
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