また年少がゆえに、結婚の時期も当然、兄たちよりも遅かった。家から出ることもなく、「東三条院」「東三条院殿」「東三条第」などと呼ばれた邸宅に、道長は兄たちよりも長く住んだ。そのため、姉の詮子と多くの時間を過ごすことになる。
源氏物語の裏に道長の想定外の出世
詮子は兄弟のなかでも、道長と仲が良かったとされている。 詮子が円融天皇に入内して、第一皇子で懐仁親王を出産したことを思えば、そのこともまた、道長の地位をより押し上げる環境へとつながったといえるだろう。
そうして権力を手にした道長が支援したことで、紫式部は『源氏物語』を書き上げることができた。世界最高の文学の金字塔を打ち立てた背景に、5男に生まれた道長の想定外の出世があったことを思うと、何がどう転ぶかは本当に最後までわからないのである。
【参考文献】
山本利達校注『新潮日本古典集成〈新装版〉 紫式部日記 紫式部集』(新潮社)
倉本一宏編『現代語訳 小右記』(吉川弘文館)
今井源衛『紫式部』(吉川弘文館)
倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社現代新書)
真山知幸『偉人名言迷言事典』(笠間書院)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら