「自由が丘」「千駄ヶ谷」「龍ケ崎」など、「○○が○」という形式の地名は数多く存在します。何気なく口にする地名もいざ文字で書こうとして、この「が」って「ケ」だっけ、それとも「ヶ」だっけ……と悩んだ経験がある方も多いのではないでしょうか。しばしば混同されるこれらの表記にも、現在に至る歴史があったのです。地図研究家の今尾恵介氏が「が・ガ・ケ・ヶ」表記の歴史について解説します。
※本稿は今尾氏の新著『地名散歩 地図に隠された歴史をたどる』から一部抜粋・再構成したものです。
が・ガ・ケ・ヶ……鉄道会社ごとの違い
今から半世紀以上も前の話であるが、昭和41年(1966)1月20日に東京急行電鉄の駅名が一斉に改められた。自由ヶ丘(東横線・田園都市線=現大井町線)、緑ヶ丘(田園都市線=現大井町線)、雪ヶ谷大塚(池上線)、久ヶ原(池上線)の4駅が、それぞれ自由が丘、緑が丘、雪が谷大塚、久が原に、つまり「ヶ」が「が」に置き換えられたのである。
ついでながら、「の」の関係でも、田園都市線の溝ノ口駅が「溝の口」、目蒲線(現東急多摩川線)の鵜ノ木駅が「鵜の木」に、同じく世田谷線の宮ノ坂停留場が宮の坂と、この日に改称された。
この一斉改称の背景には、昭和37年(1962)施行の住居表示法があるのは間違いないだろう。
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