「歩く百億円」88歳社長のさみしさとの付き合い方 歳をとっても毎日楽しそうな人がしていること
常識的な枠組みの中で生活していれば、ある意味ラクです。まわりとそんなに違うこともないから、目立って人からどうこう言われることもありません。
でも、それで楽しいでしょうか。
「どんぐりの背比べ」で人生終わっていいでしょうか。
もっと自由に、思うままに、やりたいことや考えたことをやってみて、笑ったり、泣いたり、怒ったり、もっとあなたらしく人生を過ごしてみてはどうでしょう。
歳をとると、どうしても行動の範囲が狭まったり、思考パターンが決まってきてしまったりします。
だからこそ、意識的に生活に新しい風を送るのです。
「非常識の窓」を開けてきて得られたもの
私は、子どものころから「非常識の窓」ばかり開けてきました。
まわりと同じようにしなければいけないなんて、考えたこともありません。
うちはまだ私が幼いころに父が亡くなって、母が女手1つで子どもたちを育てなければならなかったから、食べるものも満足になくて、私たちはつねにお腹を空かせているような状態でした。
そこで私は、街に出て、お店屋さんに行って、捨てようとしていた野菜の残りやお客さんの食べ残しをくれるようお願いしたんです。
お店の人は「持っていきな」って、タダでくれたんですけど、そこで食べるものだけじゃなく、ちょっとした別の知恵ももらいました。
八百屋さんは野菜をシャキッとさせるために、野菜に水を吹きかけます。すると、萎れていたキャベツもほうれん草も、また元どおりみずみずしくなります。
これを見て、家に帰ってマネをして、野菜の端切れを井戸水に漬けたら、ゴミ同然だった野菜が見事にシャキシャキに! それに味をしめて、その後も捨てる野菜や残り物をまたもらいに行きました。
こんなこと、普通はしませんよね。店の人に方便言って、残り物をもらって食費を浮かせるなんて、そんな非常識なこと、考えもしないと思います。
でも、私はそのおかげで、非常識の窓を開けたおかげで、食いつなぐことができた。知恵もついた、家族を喜ばせることができた。
「常識の窓」ばかり開けていたら、決して得られなかった幸せです。
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