ひろゆきに憧れ「論破」しがちな人の残念な盲点 「論破なんてやたらめったらやるもんじゃない」
哲:「やや視野を広げて、『論破』ブームが社会に与える影響についても指摘したいと思います。というのは、みなが否定的なモノの見方をすることで、社会に分断が起こるのでは? という人もいると思うのです。哲学者ヤスパースも、「お互いを認めることで相互理解が深まる」(実存的交わり)と述べています。そういった意味で、論破は危惧される面もあるかもしれません。」
ドイツの哲学者ヤスパース(1883~1969)は「お互いの実存を認めて、包み隠さず腹を割って話し合うことで相互理解がされる」と述べた。自己の独自性を保ちつつ、人間相互の関係を「愛しながらの戦い」を通じて理解していくことの重要性を説いた。
ひ:「確かにそういう一面はあるかと思うんですが、そもそもそれを、そこまで過剰に恐れる必要があるのかな……とも思います。」
哲:「というと?」
批判的な考えをもつことと、新しい価値観の誕生
ひ:「日本人は『正しいことは多数決で決まる』とか『みんながやっていることが正しい』という風に思いがちだと思うんですが、それはおそらく教育が影響していると思うんです。
学校ではとにかく『周りと協調してルールに則ること』が重視されがちだと思うのですが、これはおそらく、『学校側が生徒を管理しやすいから』だと思います。
そういう意味では、周りに流されすぎず、もう少し批判的な考えをもってもいいと思うのです。こういう主張をしている哲学者の方もいるんじゃないですかね?」
哲:「フランスの哲学者のフーコーは、ちょっと変わった人を区別し差別化するような権力の仕組みを批判しましたね。同調圧力もこういったところから生まれてくるのかもしれません。」
フーコー(1926~1984)によると「狂気」「異常」を排除して巧みに管理・統制する近代理性による権力構造を指摘した。非理性的なモノは理性的なモノによって排除され、権力に従順な主体が形成されていく。
ひ:「哲学者って偏屈な人も多いですけど、だからこそ、『今当たり前と思われていること』『今みんなが守っているルール』を疑い、新しい価値を示すことができるんだと思うんですよ。」
哲:「なるほど……。哲学の歴史も、それまでの哲学者の考え方を新たな哲学者が疑いながら成長してきた……みたいなところがあるかもしれません。」
ひ:「まぁでも、日常生活でやたらと論破してまわるのは、おすすめしませんよ。」
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