ひろゆきに憧れ「論破」しがちな人の残念な盲点 「論破なんてやたらめったらやるもんじゃない」
ひろゆきさんのセリフが小学生の間で流行するなど、最近なにかと話題になる「論破」ブーム。実は哲学史にも通ずる部分があります。
かの有名なソクラテスは次々とソフィスト(当時弁論術を教えていた人々)を「論破」したことで有名ですが、実はその目的はむしろ、詭弁で議論に勝とうという考えに陥りがちであった彼らの無知を、自覚させることにあったとされています。
この「論破」は良いのか、あるいは悪いのか? もしも哲学マニアとひろゆきさんがディベートしてみたらどうなるのでしょうか? 「論破の人」と思われがちなひろゆきさんの、意外な一面も伺い知れるかもしれません。
論破するのはダメなこと? ひろゆきvs哲学マニア
哲学マニアのセリフ(以下、「哲」):「このテーマは、論破王ひろゆきさんにピッタリですね。」
ひろゆきのセリフ(以下、「ひ」):「あ、でも最初にお断りしておくと、おいらは論破王と呼ばれていますが、自分で論破王を自称したことなんて一度もないですからね。『はい、論破』なんてまったくいったことないんですよ。」
哲:「そうなのですね。テレビでよく論破している姿をお見かけするので、てっきりいつも論破をしたい方なのかと……。」
ひ:「そんなわけないじゃないですか~。ことあるごとにいってるんですけど、どうも伝わらないんですよねぇ……。哲学マニアさんは、どちらの立場を取られるんですか?」
哲:「私は『YES』の立場でお願いできればと思います。」
ひ:「はい~。そうなるとおいらは『NO』になるんですかね。」
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