柴田理恵さん「東京-富山」遠距離介護を決めた胸中 「介護をするうえで心がけている」大切なこと

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――要介護4の状態だったお母さんをどのように支えていきましたか。

母に「元気になったら何したい?」と聞いたら、「お酒が飲みたい」と(笑)。「じゃあ、お正月に家に帰って、一緒においしいお酒が飲めるように頑張ろう」と励ますと、リハビリに熱心に取り組むようになりました。

ところが12月初旬に、夜中にトイレに行こうとして転倒し、腰椎を圧迫骨折しちゃったんです。気丈な母もさすがに落ち込んでいて……。

柴田さんとお母さま(写真:『遠距離介護の幸せなカタチ』)

2週間は安静にして、リハビリを再開。でも、そこからの母の回復は驚異的でした。半月ほどで杖をつきながら歩けるようになり、お正月に一時帰宅が許されたんです。

そのとき、母と一緒に飲んだ日本酒の味は格別でしたね。

要介護4から1に。一人暮らしを再開

――目標があるとリハビリを頑張れるんですね。

そうだと思います。目の前にご褒美があると頑張れると思ったので、私はそれを「ニンジン作戦」と呼んで、母のやる気を引き出すようにしていました。

退院後、介護施設でリハビリをしていくと、みるみる回復して要介護1に。春には無事に一人暮らしを再開できました。

――自宅ではどのような介護を?

近くに住む親戚のヒトシくん(母方のいとこの息子さん)に日々の母のサポートをお願いしつつ、月曜・金曜はデイサービス、火曜・木曜・土曜はヘルパーさんに来てもらうことにしました。

ただ、週1回、水曜日だけは「お休み」にして、母が自由に過ごせる日をつくったんです。

母は、教師の仕事を辞めた後、近所の子どもたちや地域の人たちに、お茶と謡を教えていたので、水曜日をそのお稽古の日に当てたんですね。すると、その日を狙って親戚やご近所さんたちが遊びに来てくれるようになりました。

誰かとお茶を飲んだり、おしゃべりしたりする時間があれば、一人暮らしでも孤独になりません。やはり、人と会うと気持ちにハリが出るんだなと実感しました。

――デイサービスに通うことについて、お母さんはどんな反応でしたか。

母はデイサービスのことを「学校」と呼んでいて、楽しみにしていたようです。1時間目は塗り絵だから美術、2時間目は字を書くから国語。お昼に給食を食べて、午後はお風呂に入って帰ってくる。そうやって前向きに通っていました。

そこでデイを週3日に増やしたところ、母が「疲れるわ」と本音をもらして。すぐに元の週2日に戻しました。さすがに連日の外出は疲れてしまったようです。

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