人々の声が響き合うとき 熟議空間と民主主義 ジェイムズ・S・フィシュキン著 曽根泰教監修/岩木貴子訳 ~「洗練された世論」による「熟議民主主義」を提唱
本書の原題を直訳すれば、『人々が議論するとき 熟議民主主義と公共的な諮問』とでもなる。わが日本でも「熟議の国会」というスローガンがつい最近掲げられていたことはご存じのとおりである。そしてまったく皮肉にも、「ねじれ国会」の下、およそ正反対の「永田町型」駆け引き政治をうんざりするほど見せつけられた。だとすれば、今こそ「熟議」についてよく考えてみるべきということだろうか。
本書が展開する議論は、いわば民主主義論のかなり大掛かりな組み立て直しである。古代アテネからアメリカの建国といった歴史的な経験をひもとくと同時に、21世紀のアメリカ、地域統合の最前線であるヨーロッパと、中国やブラジルでの最新の実験などがまさに縦横に組み合わされている。そして、民主主義の理解の仕方を、政治的平等・政治参加・熟議と「非専制」という四つの基本的な価値との関係で整理し、現実的なモデルとして四つに集約している。そして、実際の政治運動論・実験との接点が豊かに語られている。
本書の中で特に重要なのは、「生の世論」と「洗練された世論」との対比である。生の世論とは、現在行われているほとんどの世論調査や通常の住民投票に示されるもので、民衆の意見をそのまま反映させたものを指す。他方後者は、熟議のプロセス、つまり、「参加者が誠実に賛否両論を検討し、公共の問題の解決について熟慮の上で判断を下す」というプロセスによって濾過され、洗練されたものである。そして、この対比と並行するのが、「大衆民主主義」と「熟議民主主義」である。
民主主義については、ながらく論争の的とされてきたことがいくつもある。著者の表現を借りれば、平等と参加と熟議の間のトリレンマ、つまり、これらすべてを同時に満たすことが根本的に難しいという点にまとめられる。
本書で著者は、無作為抽出による代表性の確保という科学的な手法と、人々が一定の条件の下で真摯に議論を交える「熟議」の組み合わせを提唱している。それこそが、現代のように複雑で、同時に間接民主主義の仕組みを採るしかないときに「国民の意見」を聞くための最も望ましい手法だというのである。
確かに本書は、決してやさしくはない。実は評者も、今回ほどこの書評を書くのに苦労したことはない。しかし、シュンペーターの政治リーダー論やJ・S・ミルの政治哲学に興味がある方々にも、またインターネット上の粗暴な議論に辟易としている方々にもぜひお薦めしたい一冊である。
James S. Fishkin
米スタンフォード大学教授。1948年生まれ。イェール大学で政治学博士号、英ケンブリッジ大学で哲学博士号を取得。熟議民主主義の権威であり、従来の世論調査に代わる、熟議に基づく討論型世論調査(DP=Deliberative Polling)の考案者の一人。
早川書房 2730円 358ページ
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