札幌の「ヤジ排除問題」報じ続けるメディアの信念 映画手がけたHBCの山﨑裕侍監督に話を聞いた
――SNSの発達などもありますが、周囲から批判されないようにという風潮があって。「やってみなはれ」という人が少なくなっている気がします。
若い記者が言うには、みんなの前で怒られるのは嫌だけど、みんなの前で褒められるのも嫌なんですって。つまり目立ちたくない。彼らはSNSネイティブですから、炎上を恐れるんですよね。
確かに仕事は器用に、人並みにこなすんですけども、人より目立つことはしたがらないですね。この間も、森達也さんが監督を務めた映画『福田村事件』が札幌で先行上映される機会があって、「震災とデマ」というテーマで取材しようとしたんですが、そういう重いテーマはなかなかやりたがらないです。デスクはデスクで、こういうテーマは扱ったことがない。
僕はヘイトスピーチの問題とかを取材したこともあったので、そういうテーマに対してハードルを感じたことがなくて。こういうときはこの人に聞けばいい、という自分なりのリスクヘッジができるんですけども、そこを経験してないデスクは、そもそも取材をしようとする発想がない。
結局、1年生を捕まえて取材しろ、ということになりました。僕もいろいろ手伝いましたね。
――やはりそういう意味での経験、若手育成が次世代のメディアを担う人材を育てることになるわけで。それは絶対に大切なことだと思います。
その通りですね、そうやって育てていかないと、メディアが当局や企業の発表ばかりを報じるようになってしまって、人権侵害だったり、不条理に苦しんでいる人の声を聞く力がなくなってしまう。あるいは取材しようという発想すらできなくなってしまう記者が増えてしまうんじゃないかと思います。
言うべきことが言える信頼関係を築く
――取材対象者から情報を得るために距離が近くなることは必要なことですが、一方で仲良くなりすぎると、報道しなくてはいけないことを報道できなくなるのではないかという懸念もあります。そのバランスはどう考えていますか?
僕は仲良くするのはいいと思うんです。例えば警察官や政治家と一緒にご飯を食べに行くのもいいと思うんです。
ただしその関係によって、言うべきことが言えなくなるのはよくない。ある先輩の記者から言われたのは「仲がいい人を批判するような報道をしたとしても、『お前にそう言われるなら俺はしょうがないと思う』と言われるぐらいになりなさい」と。なかなかハードルが高いですが、逆に言うと本当の信頼関係だと思うんですよね。
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