そんな日々が続いたからか、桐壺は病気がちとなり、実家に下がって臥(ふ)せることも多くなった。すると帝はそんな桐壺をあわれに思い、周囲の非難などまったく意に介さず、ますます執心する。上達部(かんだちめ)や殿上人(てんじょうびと)といった朝廷の高官たちは、度の過ぎた帝の執着に眉をひそめ、楊貴妃(ようきひ)の例まで出して、唐土(もろこし)でもこんなことから世の中が乱れ、たいへんな事態になったと言い合っている。そんなことも聞こえてきて、いたたまれないことが多いけれど、帝の深い愛情をひたすら頼りにして、桐壺は宮仕えを続けている。
桐壺の父親は大納言だったが、とうに亡くなっている。母親は名家出身の教養ある女性である。自分の娘が、両親健在の、世間でもはなやかな評判の女性たちに引けをとらないよう心を配っていた。けれども何かあらたまった行事がある時などは、やはり後ろ盾もなく、心細い様子だった。
うつくしい皇子
前世からのよほど深い縁で結ばれていたのだろう、帝と桐壺のあいだにかわいらしい皇子(みこ)が誕生した。桐壺は出産のために実家に戻り、帝は出産の日を、まだかまだかと気をもんで待っていた。生まれたとの知らせが入り、その後ようやく宮中に連れてこられた皇子を見ると、この世のものとは思えないほどのうつくしさである。
帝の最初の子どもは、右大臣家の娘である弘徽殿女御(こきでんのにょうご)の産んだ男の子である。弘徽殿女御にはしっかりとした後ろ盾があり、この男の子は疑うことなく世継ぎの君としてたいせつに扱われていた。けれども弟となるこの皇子のうつくしさには、とうていかなわない。帝は、兄宮はそれなりにだいじに思うだけだが、この弟宮こそ自身の宝物のように思うのである。
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