海外の先進企業はなぜ哲学者を雇い始めたのか? 「哲学では飯は食えない」はもはや過去のこと
ここには、「倫理」という言葉の理解の違いも影響しています。日本社会で「倫理」というと、「〇〇してはいけない」とか「人はかく生きるべし」といった、外的に与えられる道徳訓や活動を規制するガイドラインのようなものとして理解されがちです。
コロナ禍で外出自粛が求められた際(法ではなく倫理として)、外出者が過度に非難されたり差別されたりしたように、いわゆる同調圧力のため、倫理が法以上に権威的かつ抑圧的に働くこともあります。
日米欧における「倫理」の捉え方の違い
対して、西洋哲学における「倫理(学)」はそうした意味での倫理も含みますが、むしろ、「自分(たち)は何をよしとするのか」「なぜそう考えるのか」について筋道を立てて追究していく知的な営為です。誰かの教えを無批判に受け入れる道徳訓やガイドラインとは異なり、自ら規範を打ち立て、それに自ら応答していくものなのです。
もちろん、「欧米では哲学者や倫理学者を雇用している。法的にグレーなことでも倫理を武器にイノベーションに取り組んでいる。だから日本もそうしよう」とはなりません。
実際のところ、GAFAのなかには新しい規範をつくる裏面で、守るべき規範を破ってきた一面もあり、無批判に欧米企業に追随するのは非哲学的な姿勢ともいえます。
重要なポイントは、今日、「自分(たち)は何をよしとするのか」「なぜそう考えるのか」について哲学的に考える必要性がさまざまな場面で生じてきているということです。
欧米での哲学活用の広がりを、各種メディアを通じて発信したところ、大きな反響がありました。しかし、私自身は欧米での先行例の功罪両面を見極める必要があると考えています。
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