それには狙いがあるように思います。無意識に貧困問題を他人事として捉えている主人公の低い目線から始めることで、後の気づきがドラマチックに映るからです。実際に話数が進んでいくと、趣里の自然体な演技によって、自分事化していく様が見どころとなり、さらに気持ち良く感情に訴えかけてくるので、応援したくなるキャラクターへと落ち着きます。
主人公自身が抱える問題が、いかにもフィクション的な要素が強いことも理由がありそうです。摩子は離婚を機に復職した事情を持ち、しかも雇用形態は契約という不安定な立場で、さらに幼児を育てるシングルマザーかつ実家にも問題ありという設定です。相当盛り込んでいます。
出版社の編集者というエリート比率が高い職業から考えると、リアルさに欠けているようにも感じますが、貧困ボーダーラインすれすれのところで生きている1人の女性であることをわかりやすく描いています。現実の世界でも摩子のような不安を抱えながら生きている女性は身近にたくさんいるはずです。ドラマとして作り上げられた人物像ながら、自身や誰かと重ね合わせながら、共感力を生み出しやすくしているのだと思います。
趣里と三浦貴大のバディドラマにした意図
趣里が演じる主人公の相棒となる﨑田祐二役には三浦貴大が起用されています。﨑田はとある理由からフリーの風俗ライターを続けている人物で、ぶっきらぼうな性格ゆえに当初は担当編集の摩子とぶつかりまくります。国立大学医学部に通うため風俗で食いつなぐ取材対象者の女性をめぐって一波乱が起こるほど。
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