31歳から修行、44歳でラーメン店出した男の半生 オープンは「震えるほど怖かった」開店も3カ月延期

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「もともとは『渡なべ』の心臓部ともいえるワークス(セントラルキッチン)に入りたかったのですが、とてもそんな状況ではなく、完全に落ちこぼれ状態でした。

何度も悩みましたが、悔しかったので何とか続けようともがきました。その中でたどり着いたのが、他の人がやったことのない仕事を見つけてくる、やりたがらないことに自ら参加する、ということだったんです」(船越さん)

店主の樹庵さんにくっついて地方遠征をし、徹底的に食べ歩き、全国のラーメンを頭に叩き込んだ。

そんなある日、福岡で食べ歩きをする車の中で、船越さんは樹庵さんにあることを相談した。

「FUJI ROCK FESTIVALのフードブースの応募要項を見つけて、これだ!と思ったんです。他の人がやらないことを自分がやりたいと思っていたので、『フジロックに出店しませんか?』と樹庵さんに相談しました」(船越さん)

樹庵さんはそれを快諾し、船越さんは大好きな音楽の現場で大好きなラーメンを振る舞えるようになった。以降、「渡なべ」のフジロック出店はほぼ毎年続き、今も夏のメインイベントとなっている。

また、2013年頃から「渡なべ」グループの店舗で、全国各地のご当地ラーメンを再現する企画が次々スタートし、船越さんが全国で学んだご当地ラーメンの知識が生かされる時がやってきた。

「この頃からもしかしたら将来自分の店が持てるかもしれないと思い出しましたが、『渡なべ』で働いていることで全国のさまざまなラーメンを作れる貴重な経験ができるので、このまま続けるか独立するかは大変悩みました」(船越さん)

この時点でも船越さんは何十種類ものラーメンを作ってきた。歳は既に35歳になっていた。せめて自分の子どもが中学に入るまでには自分のお店を出そうと決意した。

(筆者撮影)

12年9カ月の修行ののち「桜上水 船越」をオープン

結局船越さんは12年9カ月の修行ののち、2023年1月「桜上水 船越」をオープンした。

「TRYラーメン新人大賞」の受賞や今の行列を見ると順風満帆に見えるが、このお店は本当は前年の11月にオープンする予定だった。オープンが延びたのには理由があった。

独立に向けて、船越さんは漠然と「塩ラーメン」を看板メニューに据えたお店にしようと考えていた。新座にある「ぜんや」のような普遍的な人気を誇る塩ラーメンを自分のラーメンでも描きたいと考えていた。

「渡なべ」時代から、船越さんはイメージモデルがあれば、想像した通りのラーメンが作れるようになっていた。今回もイメージモデルがあった。だが、実際に塩ラーメンを作ってみたがいざ作ってみると不安しかなかったそうだ。

「以前から老舗を中心に食べ歩きをしていたので、いざ独立ということになり今の新店を食べ歩いてみると、そのレベルの高さに焦りを覚えました。

師匠の樹庵さんにはYouTubeで“都内TOP3の実力”“どんなお店にも負けない”と賞賛され、それが逆に完全なプレッシャーになってしまいました」(船越さん)

あまりの新店のレベルの高さに、自分がどこまでやれば良いのかもわからなくなってきて、スープに使う食材はどんどん増えていき、パニック状態になってしまったという。 

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