エッジワークは、社会学者のスティーブン・リンが提唱したリスク社会学の概念である。リンは、大半の人々がリスクを最小限に抑えようとする一方で、スポーツなどで怪我や死のリスクを積極的に高める人がいるという逆説を解くカギとして、「経験そのものが持つ強烈な魅惑性」に着目した(Stephen Lyng“Edgework:The Sociology of Risk-Taking”Routledge)。
これには、2つの方向性がある。1つは社会的な役割からの逸脱であり、もう1つは複雑化し専門化し、なおかつ移り変わりが激しいゆえに柔軟性を求められる現代において、よりよく機能するための基礎的なスキルの涵養である。わかりやすく言い換えれば、「解放性」と「自己啓発性」になるだろう。
山を征服したいという欲求
ここで重要になるのは、自分自身のスキルを使ってリスクを管理し、対処することから得られる刺激と満足である。
心理学者のマイケル・アプターは、「登山家が、登山の初めの長く退屈な時間に喜んで耐えようとするのは、彼(彼女)が経験している、山を征服するという高まっていく気持ちが、(その人が覚醒を求める状態にいたとしても)その時点では興奮することよりも大切だからである」と述べる(『デンジャラス・エッジ 「危険」の心理学』渋谷由紀訳、講談社)。
アプターは、安全・危険・外傷の3つのゾーンを示し、危険と外傷の間の境界線を、「危険のふち(dangerous edge)」と呼ぶ。
興奮を求める心理状態は、危険のふちの内側に沿って、心理的なプロテクティブ・フレーム(保護枠)があると想像できるという(図)。
このフレームのおかげで、危険のふちから落っこちることはないだろうと主観的に感じられるのだ(同上)。
これが「強い覚醒」を促すのである。登山家のクリス・ボニントンが、「登山から感じる興奮というのは、危ないことが起こるところまで出かけていって、そこで自分の力でその危険を防ぐことだ」と言っているように、自発的にリスクを取ったうえで、その状況をコントロールできるという自己効力感が興奮をもたらすのだ。
ただし、前述の通りこれは主観的なものに過ぎない。自分が危険ゾーンにいるのか、安全ゾーンにいるのかは、本人の感覚的なものに依存するため、安全ゾーンだと思っていたら、外傷ゾーンに踏み込んでいて命を落とすということがあり得る。しかも、登山における3つのゾーンは流動的で、短時間で終わるスポーツと異なり長時間である。
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