「要介護4の父」と暮らす決断をした50代の模索 冒険家の父「三浦雄一郎」の大病から始まった

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資格の取得や移住は、なかなかにエネルギーを必要とする。

そして、そんなタイミングで、親の病気や介護に直面する。50代ともなれば、多くの方が似たような経験をするのではないだろうか。僕も例外ではなかった。

コロナ前の2019年4月に、父は脳梗塞と診断された。

「めまいがする。きっと脳の問題だ」とうったえ、病院に行ったことで脳梗塞だとわかったのだ。

脳梗塞にはふたつのタイプがある。脳の血管が動脈硬化により狭くなることで起きる「脳血栓」と、心臓等にできた血栓が脳の血管に流れて詰まる「脳塞栓」だ。このうち、父が診断されたのは「脳血栓」であり、そのなかでも脳の深部を流れている細い血管が詰まってしまうことで起こる脳梗塞「ラクナ梗塞」だった。これは、頭にメスを入れるようなものではなく、薬での治療により回復することが多い。

なお、「ラクナ」とはラテン語で「小さなくぼみ」といった意味だ。冗談が好きな父はこれを「“楽な”梗塞だ」と言っていた。そのぐらいの余裕があった。

早めに病院に駆け込んだことで大事に至らなかった。86歳の高齢者が脳梗塞となれば、それだけでシリアスな事態だといえるが、父の場合、「検査してみたら脳梗塞だった」──といった感じだった。ただ、ふらつきの症状は残った。

父が、100万人に1人の難病で「要介護4」に

深刻な状況になったのは、コロナ禍の2020年6月3日のことだった。

そのとき僕は、父の検診に付き添うためにたまたま札幌の両親の家に来ていた。深夜3時半頃、大きなテレビの音がして目を覚ました。

高齢者にありがちなことだろうが、父はいつも大きな音でテレビを観る。別の部屋で寝ていた僕はそのときも、「まったく迷惑だなあ」と目をこすって、頭から布団をかぶった。

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