「新しい封建制」をもたらす「意識高い系」エリート 「ディストピア化する世界」を思想家が読み解く

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思わず「ほんとかよ」とのけぞるような数値だが、このデータが本当ならば、アメリカのアカデミアは「ほとんどイデオロギーの再教育キャンプのようなもの」であり、「大学は、オープンマインドな知識人を養成するのではなく、狂ったように福音を説く説教者まがいの次世代の活動家を育てている」(131頁)という著者の指摘は正しいであろう。

「意識低い」労働者と連帯できない「知的エリート」

コトキンによれば、その結果、学生たちはもう古典を読まず、歴史を知らず、批判精神を失い、強権に従属し、言論の自由の制限さえ受け入れる傾向が強いとされる(134頁)。

若者たちが民主主義に愛想をつかして、強権的な政体に惹かれているという指摘は確かに現代の政治文化の一面をとらえていると私も思う。現に、「マイノリティに不快を与えるとみなされる言論の規制にミレニアル世代の約40%が賛成」(134頁)しているというのは日本についても妥当すると思う。

とりわけ「環境保護主義」の若者たちは異説に対してはなはだ非寛容である。しかるに、寡頭支配者たちはこの「政治的に正しい」イデオロギーに対してはなぜかずいぶんと親和的な構えを示している。つまり、環境保護主義については、支配者と知的エリートの若者たちの間では意思一致が成り立っている。

でも、過激な環境保護主義によってとりわけ忍耐や不便や支出を強いられるのは、貧しさゆえに「環境にやさしくないライフスタイル」(例えばガソリン車を移動手段に使うような)を取らざるを得ないミドルクラスや労働者たちである。

現代の知的エリートたちはもう「意識低い」労働者たちとの連帯を受け入れない。かくして、プロレタリアとその同伴知識人たちの間の「150年以上にわたる連携は終わる」。それは階級闘争の時代は終わったということである。階級闘争を通じての資源の再分配よりもより効率的でフェアな分配方法を寡頭支配者と有識者が設計してくれる時代が到来する。

テックオリガルヒとバラモン左翼の脳内で構想されている未来社会はおそらく「多くの人が望まない未来」(262頁)になるであろうとコトキンは予測する。富が一極集中し、都市化が進み、家族が減少し、社会的流動性は失われ、政策立案はエリートに委ねられ、民意は政策決定に際して考慮されなくなる。

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