相手の信頼を一瞬で失う「絶対NGな話の聞き方」 「話を聞く」のは100%受け身の行為ではない
仮に予定があったとしても、その瞬間の心の持ちようは相手に伝わるものです。焦ることなく、時間がきたら「じゃあ、また今度」でいいんです。その日に話を終わらせなきゃいけない決まりなんて、どこにもありません。私がゲイバーで働いていた頃も、日をまたいで話が進んでいくことは珍しくありませんでした。限られた時間の中で解決しようなんて、それこそ聞く側の都合でしかありません。「はい、話を聞く時間をつくりました! じゃあ、この時間の中でどうぞ!」という場や意識の設け方は、合理的なように見えて、逆に浅い話しか生まれない非合理的なコミュニケーションの取り方ではないでしょうか。
日をまたげば、「前の話、ちゃんと覚えていてくれたんだ」と連帯感が生まれることもあるし、場所を変えれば行き詰っていた話が進むこともあります。対話を“解決すべき課題”として捉えず、あくまで“2人の関係性”だと考えれば、無理に終わりを意識する必要もありません。
一気に信頼を失う「聞いている振り」
実は、私がこの「話の聞き方」の難しさを改めて痛感したのは、初めてルポルタージュに取り組んだことがきっかけです。これまで私小説的に漫画やエッセイを描いてきましたが、今回執筆した『つらいと誰かにいうことが一番つらいから』では、それぞれの生きづらさを抱える人たちに、その“つらさとの向き合い方”について取材をしました。
そもそも決して話しやすいテーマではないうえに、取材となると「ちゃんと話さなきゃ」という意識が芽生えて、なかなかリラックスできません。そうやって互いの距離が離れたまま聞いた話は、言葉として整っていたとしても、読み返してみると深いところまで届いていないのです。繰り返しになりますが、話を聞いたり相談に乗るときは、話す側に自分のリズムで、自分本位で話してもらうこと。そして同時に、聞く側は「この人はどこまで話したいのかな?」と意識を向けておくことが大切だと思います。深いところまで踏み込むことと相手を傷つけてしまうリスクは、表裏一体です。
その一方で、私が絶対にすまいと肝に銘じているのが「聞いている振り」です。
一般的に上手な話の聞き方は「理解と共感」で、自分の意見をぶつけるのは控えたほうがいいと思われています。ですが、意見があるというのは、「話をちゃんと聞いている」という証でもあります。もちろん、いたずらに論戦を仕掛けたりマウントを取るのはNGですが、フラットに意見を出し合えるなら、そこまで敏感になる必要はないでしょう。むしろ最悪なのは、“情報をかいつまんで安易な一般論に接続する”ような「聞いている振り」です。たとえば「人それぞれだから」「好き好きだから」「あなたが考えることじゃないから」なんて、大人ぶっているように見えて、何の中身もない受け答えです。話す側がせっかく本音で話していても、安易な一般論で一刀両断された瞬間、「話すんじゃなかった」という失望がその場を覆い、聞く側は一気に信頼を失います。
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